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【すべては、幕府のために】昌平坂学問所とは。読み方や湯島聖堂との違いを簡単にまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

昌平坂学問所とは

江戸時代に作られ、湯島に建てられた学問を行う場所となっています。

誰が建てた?読み方は?

林羅山が建てました。

そして松平定信の行った寛政の改革の一環としてこの施設が利用されることとなります。

昌平坂(しょうへいざか)学問所と読みます。

きっかけは寛政異学の禁

寛政の改革の一環として、寛政異学の禁という政策がありました。

内容としては洋書の輸入は再禁止。蘭学も禁止され、朱子学以外の学問を禁じました。朱子学というのは身分を重んじる学問で統治する側の立場にとっては都合の良い学問だったといわれています。

そして朱子学の学校として建てられたのが昌平坂学問所というわけなんです。

湯島聖堂との違い

実は同じ建物なんです。名称が違うだけ。

名称が変更したタイミングとしてはこの施設が幕府の管轄になったときです。

もともと林羅山の立てた私塾であったこの施設ですが、そのあと幕府に管轄されるようになり、それを松平定信が利用する形となっています。

というわけで

  • 湯島聖堂は私塾時代の時の呼び名
  • 昌平坂学問所は幕府の管轄になってからの呼び名

という違いがあるということです。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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