こんにちは。今回はこんなテーマでやっていきます。
犬養毅とは
やったことまとめ
- 第一次護憲運動に参加
- 第二次護憲運動に参加
- 犬養毅内閣、高橋財政を行う
- 犬養毅内閣の時に新興財閥の発生
- 犬養毅内閣の時に血盟団事件
- 犬養毅、五・一五事件で暗殺
第一次護憲運動に参加
桂太郎内閣の時に行われました。
桂は大正天皇の内大臣兼侍従長になっており、その人物が首相となることは「宮中府中の別」を乱すということになり批判が殺到したんです。
このことから第一次護憲運動が行われることとなります。犬養も当然この運動に参加し、
- 犬養毅(いぬかいつよし、所属政党は立憲国民党)
- 尾崎行雄(立憲政友会)
といった政治家を中心に一般人まで多くの人が参加します。この運動のスローガンは
- 閥族打破(ばつぞくだは。意味は藩閥政治やめろ)
- 憲政擁護(けんせいようご。意味は憲法まもれ)
の2つです。
第二次護憲運動に参加
清浦圭吾内閣の時に行われました。
清浦内閣は貴族院の支持を受けて作られた内閣です。政府側の人間であり当然国民から非難が集中していきます。そうして起こったのが
第二次護憲運動です。第一次に続き第二次護憲運動が起こっていきます。清浦圭吾打倒のため、
- 政友会の高橋是清
- 憲政会(立憲同志会の後身)の加藤高明
- 革新倶楽部の犬養毅
の3人が手を組み護憲三派を結成、選挙(のみ)で清浦に反抗しました。
犬養は第一次護憲運動の際から所属政党が変わっていることもポイントです。
犬養毅内閣、高橋財政を行う
高橋是清による財政政策です。浜口雄幸内閣でやった金輸出を再禁止し、管理通貨制度に移行します。また時局匡救事業(じきょうくきょうきゅう)を実行し、景気改善に努めました。
これらのこともあり、円高が発生し、日本は輸出超過になっていったんですが、イギリスはソーシャル・ダンピングであるとし、日本を批判します。
そのあと、イギリスはブロック経済圏を作り日本を排除します。これに対抗し、日本も円ブロックを組織しました。
犬養毅内閣の時に新興財閥の発生
- 鮎川義介が作った日産(満州)
- 野口尊(のぐちしたがう)が作った日窒(朝鮮)
などのコンツェルンが勃興していきました。ほかにも理研や森などの新興財閥ができました。
犬養毅内閣の時に血盟団事件
血盟団が行った政財界の大物たちが殺害された事件です。首謀者は井上日召という人。この事件により井上準之助、三井合名会社の団琢磨(だんたくま)ら政財界の大物が殺害されてしまいました。。
犬養毅、五・一五事件で暗殺
犬養毅は満州事変で満州国を否定するんですが、これにより軍部から不満が急増します。
そして五・一五事件が勃発し、軍部のクーデターにより犬養は暗殺されることとなります。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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