こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
いわゆる憲政の常道時代なわけです。なんとなく良いイメージがありますが、実はこの時代の議員たちは汚職が多く、不満を持つものも少なくなかったこともこれからの流れで重要になってきます。
それではどうぞ。
憲政の常道時代とは
そんな時代はありませんよ。あくまでこのサイト上での呼び方です。
当サイトでは昭和時代を紹介するときに
という分け方をしています。憲政の常道時代は一番上です。
憲政の常道とは?
政友会と憲政会による完全な政党政治が成立する時期が大正から昭和時代にかけてあるんですがその時期のことを憲政の常道といいます。
出てくる首相の覚え方は「かかわったハワイ」。
この人たちです。加藤高明は大正時代の首相なのでこの記事では昭和に入ってからの第一次若槻礼次郎内閣からやっていきます。
第一次若槻礼次郎(憲政会)
やったことは金融恐慌の対応のみです。
日本では戦後恐慌、震災恐慌と立て続けに金融危機が起こっていて、金融が不安視されていました。そんな中、大蔵大臣の片岡直温が「このままだと銀行が潰れる」という発言をうっかりしちゃいます。
その結果取付け騒ぎ(お金をおろしに民衆が銀行に殺到)が発生し、休業してしまう銀行が発生。この事件のことを金融危機といいます。
この事件により台湾で貿易商を営んでいた鈴木商店が倒産するなど被害は銀行にとどまらなかったんです。
そこで若槻は台湾に対し、緊急勅令による経済の復興を考えたんですが、枢密院の妨害により復興がかなわずそのまま総辞職します。実は若槻及び幣原による協調外交は枢密院によく思われていなかったという背景があります。
田中義一(政友会)
やったことは
- モラトリアムの発行:金融危機の解消
- 社会主義弾圧
- 外交のチグハグ化&中国侵略
- パリ不戦条約に調印
- 張作霖爆殺事件
です。それぞれまとめていきます。
モラトリアムの発行:大蔵大臣高橋是清の紙幣大量増刷などもあり、金融危機は収束します。しかし恐慌の後には必ず財閥が成長していき、カルテルや企業集中が顕著に。このころの財閥でいうと三菱・三井・住友・安田の四大財閥が発展していきました。
社会主義弾圧:三・一五事件や四・一六事件で検挙を実施し、共産党は壊滅的打撃を受ける。さらに治安維持法を改正し最高刑を死刑に引き上げます。
外交のチグハグ化&中国侵略:協調外交を撤廃し、中国に干渉するように。当時中国では中国国民党と中国共産党が対立していたが第一次国共合作により両党が団結しました。
このあおりを受け、中国国内で日本に対するストライキも発生(五・三〇事件)。しかしこの後国民党のリーダーであった蒋介石は反抗勢力の討伐をし(北伐)、共産党も排除してしまい結局元通り2つの党はバラバラになってしまっていました。
そんな中国に田中は出兵を行います=山東出兵。そこで済南事件などの武力衝突も行われました。という感じで中国にはきつい態度をとるんですが、
パリ不戦条約に調印:ヨーロッパとは協調外交を継続していきます。
張作霖爆殺事件:日本は中国にいた張作霖に援助を与え、蒋介石と衝突させようとしたが張作霖は戦が弱かったため、爆殺。日本では満州某重大事件といわれた。しかし、これは関東軍の人間が独断で行ったことであり、田中はこれにより天皇の不信感を買い、総辞職。
浜口雄幸(立憲民政党{憲政会の後身})
やったことは
- 金輸出解禁
- 産業合理化の実施
- 昭和恐慌
- 重要産業統制法
- ロンドン海軍軍縮条約
です。それぞれまとめていきます。
金輸出解禁:日本は1917年に金輸出を禁止したが大蔵大臣の井上準之助が金輸出を解禁します。しかし運が悪かった。この直後にアメリカで世界恐慌が発生。世界市場が大打撃を受け、金解禁は失敗に終わります。
産業合理化の実施:売上不振な中小企業を整理し、大企業に力を集中。これが財閥の成長につながり後に大きな問題になっていきます。
昭和恐慌:相次ぐ恐慌により農村は大打撃を受けます。そんな農村では娘の身売りが発生してしまうんです。
重要産業統制法の制定:価格競争を是正する目的で作られましたが、これが統制経済への先駆けとなります。
ロンドン海軍軍縮条約:補助艦にも制限が付けられます。日本海軍は保有艦の数で対アメリカ7割を主張していたが、実際には7割を少し下回ってしまいます。
内閣には統帥権(軍を動かす権利)がないはずであるが、内閣が勝手に決断してしまう形となり、これが天皇の統帥権を干犯していると問題になりました=統帥権干犯問題
この後浜口は東京駅で発砲を受け総辞職しました。
第二次若槻礼次郎(立憲民政党)
やったことは満州事変です。
満州事変:日本は恐慌により国内財政が危機になったことで満州の侵略を始めます。満州に駐在していた関東軍が柳条湖事件を起こし、それがきっかけで起こった事件です。
若槻は不拡大方針(満州をこれ以上侵略しない)を取るが首相には統帥権がないから意味はありませんでした。
若槻は相次ぐ不安要素により総辞職します。
犬養毅(政友会)
やったこと・起こったことは
- 高橋財政
- 新興財閥の発生
- 血盟団事件
- 五・一五事件
です。それぞれまとめていきます。
高橋財政:高橋是清による財政政策。金輸出を再禁止した➡管理通貨制度に移行。また時局匡救事業(じきょうくきょうきゅう)を実行し、景気改善に努めた。
これらのこともあり、円高が発生し、日本は輸出超過になっていったが、イギリスはソーシャル・ダンピングであるとし、日本を批判。ブロック経済圏を作り日本を排除した。これに対抗し、日本も円ブロックを組織した。
新興財閥の発生:鮎川義介が作った日産(満州)、野口尊(のぐちしたがう)が作った日窒(朝鮮)などのコンツェルンが勃興。ほかにも理研や「森」など
血盟団事件:血盟団が行った政財界の大物たちが殺害された事件。首謀者は井上日召。この事件により井上準之助、三井合名会社の団琢磨(だんたくま)らが殺害される。
満州国を否定:これにより軍部から不満が急増そして
五・一五事件の勃発:軍部のクーデターにより犬養は暗殺される。軍部の力がこの時を境に急増していき、政党政治が困難となった➡憲政の常道の終焉&挙国一致内閣の誕生。
といった感じです。
最後に
次の政治は②へ続きます。挙国一致時代です。
ひとつ前は大正時代です。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (11件)
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[…] そして昭和前期まで、政権を立憲政友会(自由党)と取り合っていきます。憲政の常道と呼ばれるやつです。 […]
[…] 第二次若槻礼次郎内閣の時に起こりました。 […]
[…] です。憲政の常道の時に比べ、内容が物々しくなってますよね。 […]
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