ついに60000PVを突破。これも皆さんのおかげです。ありがとうございます。YouTubeも開設したのでそちらも併せてご覧ください。

【試験にはここが出る】壬午軍乱・庚申事変をやさしくまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

目次

壬午軍乱・庚申事変とは?

明治時代朝鮮半島で起こった政治的クーデターです。

きっかけは開国

開国させたのは日本です。日朝修好条規という不平等条約を結び、朝鮮を開国させました。

そして、開国と同時に、朝鮮内部での改革が起こります。そんな中、朝鮮内に2つの論が浮かび上がってきます。それがこの2つです。




「親日派vs親清派」

要は「日本につくか、清につくか」といった論争です。独立した朝鮮としてやっていく気はないそうです。

日本が開国したときには技術や文化を盗めることは「どこからでもなんでも盗もう」という考えでやっていましたが、朝鮮は長年中国にしがみついていた国なのでそういった感覚が分からなかったんではないかなと個人的には思っています。

しかしこのことが朝鮮国内で大きな争いを生むことになります。それが

  • 壬午軍乱(じんごぐんらん)
  • 庚申事変こうしんじへん

の2つです。ここからはそれぞれ説明していきます。

壬午軍乱(1882)

親日派:閔妃(びんひ)vs親清派:大院君(たいいんくん)の戦いとなりました。ちなみに家族構成としては大院君の息子が高宗、高宗の后が閔妃となっており、血縁的に近い2人が争いを起こしたと言えます。

大院君が起こした親日派打倒の反乱となりましたが反乱は失敗に終わります。

そしてこの時、閔妃が親日派から親清派へ変わっていきます。

なお、この事件で日本側は被害を受けたので朝鮮と済物浦(さいもっぽ)条約を結び、賠償金などを獲得しました。

甲申事変(1884)

親日派:金玉均(きんぎょくきん)(独立党)vs親清派:閔妃事大党)の戦いとなりました。今回はそれぞれ党を作っています。金玉均が日本から援助を受け、クーデターする形となりましたがまたも失敗。金玉均は日本に亡命

親日・親中と分かれて戦っているので当然両国もクーデターに参加していたのですが、日中ともにこれ以上の戦いは避けたかったので、日中間で条約を結びました。

名前は天津条約といい、両国は朝鮮から撤兵し、次に兵を出すときはもう一方に連絡してからにしなければならない(事前通告制)ということを決めました。

こうして日中の関係は、表面上はよくなったが、お互い朝鮮の利権を手に入れることを考えていたという状態でした。




脱亜論(1885)

そんな中、福沢諭吉が「脱亜論」を出します。

内容は「アジアに固執せず、西欧と話し合おう」という感じですかね。

最後に 他の国とは?

明治時代初期には他の国とも交易を行っていきますがどれも重要なんです。

あわせて読みたい
【グローバル】明治時代初期の対外関係をまとめ。 こんにちは。 今回はこんなテーマでやっていきます。 【対清(中国)】 1871年に日清修好条規(平等条約)を締結します。 日本側:伊達宗城(だてむねなり) 中国側:李...

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

Follow me!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

コメントする

目次