こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
近衛文麿(このえ ふみまろ)とは
名前から分かるように皇族です。
総理大臣にもなりました。
そしてこの人が実質的に日本を戦争に導いた人と言えるのかもしれません。
やったこと
結構多いですが近衛はそれだけの重要人物なんです。
日本版ヒトラーですからね。
ひとつづつ追っていきます。
第一次近衛文麿内閣の時に、西安事件
西安事件(しーあん じけん)自体は中国の事件です。
北伐以来横暴が続いていた蒋介石(しょう かいせき)を張学良(ちょう さくりん張作霖の息子)が監禁した事件です。
これにより国共内戦は中断し、中国はまた一体化します(第二次国共合作)。
中国が一体化するということは、中国を支配しようとしている日本と争うことを意味します。
第一次近衛文麿内閣、日中戦争に踏み切る
日中戦争がついに勃発します。
中国も抗日民族統一戦線を結成、そして戦争に発展していきます。
日本は南京まで侵略し、そこで南京大虐殺が行われたとされています。
中国政府は南京を逃れ、重慶へ移動し、日本に抵抗していきました。
第一次近衛文麿内閣、近衛声明の発表
近衛声明を3つ発表することとなります。
- 第一次近衛声明「国民政府を対手(あいて)とせず」
- 第二次近衛声明「東亜新秩序建設」
- 第三次近衛声明「近衛三原則」
を提唱します。
第一次近衛文麿内閣、国民精神総動員運動の実施
企画院(太平洋戦争時に活躍)を設立し、ここをもとに運動が行われて行きました。
のちに行われる国家総動員運動の先駆けとなった運動です。
さらに国家総動員法を制定し、戦争への準備を進めていきます。
第一次近衛文麿内閣、出版弾圧を行う
出版物の内容としては戦争に反対したものでした。
第一次近衛文麿内閣、日独伊三国防共協定を締結
日独伊三国防共協定:広田弘毅内閣の時の「日独防共協定」にイタリア(伊)が追加します。
第一次近衛文麿内閣、張鼓峰事件を起こす
日本軍とソ連軍が衝突した事件です。
張鼓峰事件において日本は敗北します。
この後、近衛は自ら辞任します。
第二次近衛文麿内閣、ファシズム国家(ヒトラー・ムッソリーニみたいな国家)の作成
ファシズム国家とは1人のリーダーが国家全体を動かす国家のことを言います。
代表的なのが
- ヒトラー(ドイツ)
- ムッソリーニ(イタリア)
などの人物。
ファシズム国家の実現のために近衛は新体制運動を展開、これに伴い大政翼賛会を結成し政党の自由を奪っていきました。
労働組合も消滅し、大日本産業報国会へと移っていきます。
大政翼賛会も大日本産業報国会も実際にはほとんど機能していませんでした。
第二次近衛文麿内閣、大戦不介入方針の転換
日本は第二次世界大戦に不介入の方針でしたが転換します。
中国は列強から援蒋ルート(蒋介石を援護する)でイギリスから物資を供給されながら日中戦争を続けていたので
日本は北部仏印に進駐(進軍すること)し、補給路を断とうとしました。
第二次近衛文麿内閣、日独伊三国軍事同盟を結ぶ
日独伊三国軍事同盟を結成します。これが一番有名なやつです。
この三国は枢軸国と呼ばれた。この状態で戦争に突入していきます。
第二次近衛文麿内閣、日ソ中立条約を結ぶ
松岡洋右(国連脱退した人)が交渉します。
日ソ中立条約により一応日本とソ連は戦争をしないということになりました。
第二次近衛文麿内閣、日米交渉を行う
日本はアメリカとの交渉を図り戦争を食い止めようとしました。
ハルは「ハル・ノート」を提示し、日本に領土を満州事変以前の状態に戻すように提案しましたが、日本はこれを拒否。
ここからついに日米の両国が戦争へ向かっていきます。
第二次近衛文麿内閣の時、独ソ戦争開戦
日本もドイツを支援するため関東軍特種演習を実行します。
一応日ソ中立条約を結んでいるので日本からソ連には攻撃できないんですよね。
第三次近衛文麿内閣、南部仏印進駐
これに対しアメリカは日本への石油の輸出を禁止、
さらにアメリカはABCD包囲網を作り、日本に圧力をかけていきます。
第三次近衛文麿内閣、帝国国策遂行要領を発表
帝国国策遂行要領の発表は、開戦準備を進めていくことを意味しています。
第三次近衛文麿内閣、価格等統制令を発令
価格等統制令により、物価を政府が支配することで来たる戦争の際の物価の乱高下に備えました。
第三次近衛文麿内閣、七・七禁令を発令
七・七禁令によって来たる戦争に向けて贅沢なものを禁止します。
なっていきました。
作ったコメは強制的に政府に買い取られました(供出制)。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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