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【闇の組織】枢密院とは。やったこと・読み方・時代・廃止の流れを簡単にまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

目次

枢密院とは天皇の諮問機関

天皇と関係のある機関であったということが重要です。

当時の天皇と言ったら神に等しい存在であるのでその力を受ける枢密院もまた神のような力を発揮することができたというわけです。

諮問機関とは

相談機関という意味です。

大日本帝国憲法発布の際に作られる

枢密院はもともとは憲法を作る目的で作られた機関で天皇の諮問機関(相談を受ける機関、読み方はしもん)だったんです。

つまり天皇の息がかかる組織ということで後には発言力が強くなる機関でもあります。平安時代でいう「蔵人所」みたいな感じ。

初代議長は伊藤博文

初代議長伊藤博文です。伊藤は憲法の作成に力を入れていたので、憲法を作るために重要な存在であった枢密院の議長になることはつじつまが合いますね。

若槻礼次郎内閣を潰す

若槻礼次郎内閣の時、日本では戦後恐慌、震災恐慌と立て続けに金融危機が起こっていて、金融が不安視されていました。そんな中、大蔵大臣の片岡直温が「このままだと銀行が潰れる」という発言をうっかりしちゃいます。

その結果取付け騒ぎ(お金をおろしに民衆が銀行に殺到)が発生し、休業してしまう銀行が発生。この事件のことを金融危機といいます。

この事件により台湾で貿易商を営んでいた鈴木商店倒産するなど被害は銀行にとどまらなかったんです。

そこで若槻内閣は台湾に対し、緊急勅令による経済の復興を考えたんですが、枢密院の妨害により復興がかなわずそのまま総辞職します。実は若槻及び幣原による協調外交は枢密院によく思われていなかったという背景があります。

こんな感じで内閣に対しても物が言えてしまうとても強大な組織に成長してしまいました。

GHQにより廃止させられる

戦後まもなく廃止され、枢密院は消滅することとなりました。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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