こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
こんな人
武家の名門、平氏の一族の人間です。父の平忠盛は瀬戸内の海賊の討伐で有名になりました。
そして彼は武士の頂点まで上り詰めていくこととなります。ここからはその過程を見ていきましょう。
保元・平治の乱で勝利
保元の乱・平治の乱をどちらとも勝利し、日本には敵なしという状況になりました。
ここから平清盛、そして平氏は様々なことをやっていくことになります。
日宋貿易
平清盛は宋(中国)との貿易に力を入れ、そのために港を整備しました。それが大輪田泊(おおわだのとまり)です。今の神戸港のところ。
貿易では主に宋のお金(宋銭)を輸入していました。
寺社建設
厳島(いつくしま)神社は大きい鳥居で有名ですね。あれは平清盛が一家の繁栄を願い作ったんです。
蓮華王院と呼ばれる寺を後白河法皇からもらったこともあります。この寺の中にある三十三間堂には1000体の仏像がいます。
反抗勢力の弾圧
平氏討伐を目論んでいた藤原成親と俊寛を処罰します(鹿ケ谷の陰謀)。さらには当時の都の最高権力者である後白河法皇を幽閉しました。これらのことや平氏一族が力を持ちすぎたことが原因で平氏はだんだん他の氏から反感を買うようになっていきました。
その結果、後白河法皇の息子である以仁王が以仁王の令旨で「平氏を討て」という命令をしたことにより源氏を中心として各地で平氏討伐の兵が立ち上がりました。
福原京への遷都
晩年、平清盛は都を平安京から福原京に移そうとします。しかし、平安京に住んでいた貴族が大反対し、結局遷都は上手く行きませんでした。
最期
高熱を出して死亡したとされています。そして圧倒的なリーダーであった平清盛を無くしたことにより、平氏は壊滅的打撃を受け、清盛一族は滅亡することとなります。
最後に 平家のその後
記事に書いてある通り、滅亡していきます。
平氏を滅ぼすのは源氏です。
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (6件)
[…] […]
[…] 院政は平清盛というもっと権力を持つ存在に圧倒され、無くなっていきました。 […]
[…] 厳島神社(いつくしま):平清盛が作った。 […]
[…] 二人は平清盛と戦います。為義は「保元の乱」で、義朝は「平治の乱」で平清盛に討たれてしまいます。 […]
[…] 平治の乱で平清盛に敗北し、処刑されてしまうことになりました。この時息子である頼朝も処刑されるはずだったのですが「子供はかわいそう」ということで処刑は免れることになりました。 […]
[…] 実は平清盛によって遷都の計画が持ち上がり、摂津の福原というところに遷都しようということなりました。しかし、これに貴族たちが猛反対。 […]