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【屈辱】留守政府のやったこと4つをまとめ。(地租改正・徴兵制・学制・四民平等)

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

目次

留守政府とは

1871年から欧米に向けて岩倉使節団が派遣され

などの重要人物が日本からいなくなった時期がありました。彼らはまるまる3年ほど海外に行ったまんまです。

この時の日本の政府を留守政府といい、政治を担当したのが

などでした。彼らは要は政府内で「2軍」に落ちてしまったことになります。屈辱ですね。

今回はこの期間(1871~1873)に政府がやったことを紹介していきます。

やったことまとめ

  • 地租改正
  • 徴兵制
  • 学制
  • 四民平等

の4つです。詳しく見ていきましょう。

その1:地租改正(1871)とは

まずはこれ。要は徴税のスタイルが変わります。

システムとしては地券と呼ばれる紙に記載されている土地の地価の3%を税として納めるというもので、が江戸時代からの変更点は

  • 現金で納める(コメの物価に左右されなくなり安定する)
  • 地券所有者が税を負担(水呑百姓をなくす)

です。

しかし、農民の実質的な税負担は江戸時代とほぼ変わらなかったので地租改正一揆を農民が起こすことになりました。結果としては地租の割合が3%➡2.5%になり、一揆は成功したことになります。

竹やりで、どんと突き刺す、二分五厘」という名言みたいなものも存在します。

その2:徴兵制とは

一般の人に軍隊の訓練を義務付ける制度のことをこういいます。日本ではもうないですが、今でもやっている国は意外とあります。

大村益次郎の建議に始まり、徴兵告諭に基づき山県有朋が施行していくこととなります。満20歳以上の男子は原則全員参加だったのですが、例外もあり、

  • 戸主(父親)・その跡取り(長男):一家の跡取りがいなくなると困るから
  • 270円を税で納めた者:お金持ちにはさすがにやらせません。当時の270円は超高額。

などは徴兵されませんでした。この2つは特に試験に出やすいです。

例外はあるものの、基本的には参加する義務のある制度だったので反対が大きかったんです。徴兵制に反対する一揆のことを血税一揆といいます。

その3:学制(1872)とは

近代教育の基礎を作ろうとした政策です。当時はフランスの教育制度を取り入れていたんですが、あまり日本の実情と相性が良くなかったんです。

例えば当時の日本の子供は農家にとって重要な労働力だったので、子供を学校に行かせるのは農家にとっては損害だったんです。

結果として学制の時点では教育改革は失敗に終わります

その4:四民平等とは

戸籍法が公布され、国民は

  • 華族:高貴な人たち。いわゆる貴族
  • 士族:武士
  • 平民:それ以外の人

に分けられました。

本質的には「華族かそれ以外」といった感じで華族は他に比べて圧倒的な権利を保障されていました。華族は1884年に「華族令」が制定され、後の元老院、貴族院議員になることになります。

この区別は明治政府初の本格的な戸籍である壬申(じんしん)戸籍によって、行なわれました。




最後に

この後に留守政府は帰ってきた大久保たちと明治6年の政変で争うことになります。詳しくはこちら

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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