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【これで完璧】蝦夷とは。日本の流れ・時代・読み方を総まとめ。

こんにちは。

今回の記事はこんなテーマでやっていきます。

日本は蝦夷を服従させるのにとても苦労しているんです。今回は蝦夷の制圧について解説していきます。

それではどうぞ。

目次

そもそも蝦夷って何?

かつて東北地方にいて、京の都に服従をしなかった人々のことを総称した言い方です。こちらが蝦夷。読み方は「えぞ」か「えみし」です。えぞはエゾシカのエゾ。

ちなみに南九州では隼人(はやと)と呼ばれる九州版の蝦夷みたいな反抗組織があったのですが、これはすぐに鎮圧され、

が置かれました。

サツマイモの薩摩です。まあサツマイモは江戸時代に作られるのですが。

都ではこの蝦夷たちを何とか服従させようといろいろな策を講じました。それでは服従する過程をご覧ください。

渟足柵・磐舟柵 設置

渟足柵・磐舟柵は東北への遠征の準備として設置されました。

これは大化の改新の直後に行われていて、当時の新政府の蝦夷への意識の高さが表れていますね。

「阿倍比羅夫」派遣

次に日本は蝦夷に阿倍比羅夫(あべのひらふ)を派遣します。これが斉明天皇の時です。この阿倍比羅夫、結局は蝦夷の制圧に失敗してしまいます。

その後、彼は白村江の戦いなんかにも行くことにはなります。

多賀城 を設置

多賀城陸奥国府(東北地方の最高機関)となり陸奥全体の指揮を執ったんです。

結果としてはこの時は蝦夷を服従させることはできませんでした。

多賀城焼かれる

蝦夷の一族である伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)という人によってこの施設が燃やされてしまいます。

さっきも書いた通り、多賀城は東北の全指揮を執っていたようなとても大きな組織なので、京都にとってもこの事件は衝撃的でした。

その対応として政府は紀古佐美(きのこさみ)という人を派遣しますが、結局蝦夷の制圧はかないませんでした。

都、本気を出す

その後何回か侵略を試みるも蝦夷のリーダー阿弖流為(あてるい)の策略によって侵略が難航します。難しかったのは阿弖流為の攻略だったんです。

そこで白羽の矢が立ったのが坂上田村麻呂です。坂上田村麻呂は征夷大将軍という役職に任命され、胆沢城(いさわじょう)を建設します。蝦夷を征するで「征夷」と覚えてもらって構わないと思います。

そしてついに阿弖流為を降伏させることに成功します!阿弖流為はこの後朝廷に連れてこられ、そこで処刑されてしまいます。

この後は蝦夷征討はあっさり進み、蝦夷は都に服従するものとなりました。




最後に

なんで蝦夷は侵略してもそれが既成事項になっていてアイヌはダメなんでしょうね。どっちとも同じようなことしているとは思うのですが。

とまあこんな感じでやっていきました。

みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら

そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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