こんにちは。
今回の記事は蘇我氏についてまとめています。
それではいってみましょう。
目次
蘇我氏とは
古墳時代~飛鳥時代にかけて日本の政治の実権を握っていた一族です。
渡来人として日本にやってきたといわれています。
蘇我氏の政界進出方法
蘇我氏は当時異端扱いされていた仏教を積極的に取り入れることで勢力を拡大しました。教科書で出てくる最初の蘇我氏は蘇我稲目ですが、彼が仏教を推進しました。
蘇我稲目は仏教反対派であった物部氏と激しく争い、この戦いに勝利しました。ここから蘇我氏の勢いが強くなっていきます。
蘇我馬子(そがのうまこ)
蘇我馬子が蘇我氏の全盛を築いたといっても過言ではありません。彼は
などして政界のトップに上り詰めました。聖徳太子とともに政治を行い、権力を握りましたが、その横暴っぷりは他族からの不満も大きかったんです。
聖徳太子とともに馬子がやった政策はこちらにまとめてあります。
蘇我蝦夷・蘇我入鹿
馬子の子供が蘇我蝦夷(えみし)で孫が蘇我入鹿(いるか)ですね。
彼らは何と聖徳太子の子供である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自害に追い込んでしまいます。
これを機に他族も「明日は我が身」と危機感を募らせるようになります。
蘇我氏の最期、滅亡へ
そんなこんなで不満が大きくなっていった蘇我氏、大化の改新の際の乙巳(いっし)の変で滅ぼされてしまいます。
これにて蘇我氏の存在は政治からは存在しなくなりましたとさ。
最後に
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (8件)
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[…] 聖徳太子・蘇我馬子が政治を行っていた時代に隋(中国)に送る使節として「遣隋使」を送ることにしました。 […]
[…] 想像しやすいとは思いますが飛鳥時代の文化と考えていただければと思います。飛鳥時代といえば、「聖徳太子」や「蘇我馬子」たちがいたわけですが、そんな彼らの作った文化のことです。 […]
[…] 蘇我氏は政治のリーダー「大臣」 […]
[…] ぶっちゃけこっちが大化の改新の目的なような気がします。つまり蘇我氏を倒すことが大化の改新の目的なんじゃないかなと個人的には思っています。 […]
[…] 最初の都です。「聖徳太子」「蘇我馬子」の時代です。 […]