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【意外な結果が】徳川と豊臣の戦いを総まとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

実は徳川と豊臣って何回か戦っているんですよね。そしてなぜか徳川が全勝しています。これは偶然なのかそれとも必然なのか。そんなことを考えながらこの記事を書きました。

それではどうぞ。

目次

その1:小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い

安土桃山時代に起こった戦いです。あまり知られていませんがこれが最初の戦い。

結果としては徳川家康が勝利しますが、秀吉と講和を結ぶ形にしたので秀吉は大きな被害は受けずに済みます。

その2:関ヶ原の戦い

毛利輝元を率いる石田光成(豊臣軍)と徳川家康が戦った戦いです。豊臣秀吉はすでに死去しています。

結果としては家康の勝利

これにより豊臣軍は家康に処分(領地を減らす・処刑など)を食らうこととなりました。

その3:大坂の陣(夏・冬)

きっかけは方広寺の鐘の文字です。方広寺の鐘といえば刀狩の集めた金属で作られたといいますが、そこに彫られていた金の文字に「国」という文字がありました。

この字に「家康をバラバラにしている」という因縁をつけた家康は豊臣軍のいる大阪城を攻めます。

冬と夏に2回攻めたので「大阪冬(夏)の陣」と呼ばれました。天皇賞みたいですね。

結果は家康の勝利。秀吉の子供であり豊臣軍の総大将の豊臣秀頼は自害しました。

総合成績

豊臣軍って意外と徳川に全敗なんですね。

理由はいろいろ考えられますが、豊臣秀吉は戦いが苦手、もっと正確に言うと勝負勘がなかったんでしょうね。朝鮮出兵の時もだらだらと攻め続けて失敗してますし。

豊臣秀吉は信長の下でこそ輝ける人物だったのかもしれないですね。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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