こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
整理すると・・・
鎌倉幕府ができた当初の代表的な組織は
で追加されていった代表的なものは
です。
整理してみると意外と少ないのがわかります。それではここからはひとつひとつ見ていきましょう。
執権
将軍の補佐をします。とはいっても源頼朝がいなくなってからは実質的なリーダーとなりました。
執権はすべて北条氏が担当しました。
侍所・公文所(政所)・問注所
侍所は軍事、公文所は政治、門注所は裁判を主に担当していくことになります。公文所は後に政所に名前が変わります。
それぞれの初代リーダー(別当・執事という)も覚える必要があります。それぞれ見ていくと
- 侍所初代別当:和田義盛
- 問注所執事:三善康信
- 政所別当:大江広元
となります。
ここまでが幕府が作られた当初の重要な組織となっています。ここからは幕府成立後に作られた重要な組織を紹介していきます。
六波羅探題
承久の乱の後、天皇を監視するために作られた組織です。
承久の乱の詳しい内容はコチラ。
評定衆(ひょうじょうしゅう)
3代執権北条泰時の時に作られたものです。それまで慣例的にやっていた合議制をこれを機に制度化しました。実は江戸時代にも存在している組織なんですが、鎌倉のも江戸のも主に裁判についての組織です。
5代執権の代になると評定所の補佐をする引付(ひきつけ)という評定衆の補佐をする役職も作られるようになります。
連署
3代執権の北条泰時が作りました。このころはだんだん将軍の役割がなくなっていき、ほぼお飾り状態になっていました。逆に執権の役割が大きくなりとても仕事をこなしきれなくなっており、そんなときに作ったのが連署(れんしょ)です。執権の補佐が役割です。
執権が「将軍の補佐役」だったので連署は「補佐役の補佐役」ということになります。
鎮西探題
元寇が起こった後に作られた組織です。主に九州沿岸を警備し、次の元の襲来(実際にはなかった)に備えました。
元寇の詳しい内容はコチラ。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (3件)
[…] […]
[…] 頼朝は鎌倉幕府の政治システムの基礎を整えたり […]
[…] その他の幕府のシステムはこちら […]