こんにちは。
今回の記事はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
遷都(せんと)とは?
都を移すことをこう言います。某キャラクターのおかげで聞いたことがあるという人もいるかと思います。
都を移すというとピンとこない方もいると思いますが、当時は天皇が様々な原因で都を移すことがよくあったんです。
遷都のタイミングは?
何か政変や不幸が起きると変わりやすい傾向にあります。大化の改新とかみたいなケース。
でも、突拍子もなく遷都する天皇もいたりして、必ずしも出来事が必要というわけでは無いです。
飛鳥宮
飛鳥時代、飛鳥宮、飛鳥寺。この時代はなんでも飛鳥なんですね。
難波長柄豊碕宮
大化の改新にともなって難波に都を移します。それがこの難波長柄豊碕宮。
クーデターの後、心機一転、新しいスタートをきったということもできるでしょうね。
朝倉宮
斉明天皇が朝倉宮に移しました。目的は白村江の戦い。そのため本格的な都というよりかは戦争本部としての側面が強く、即席の都といった感じです。この都で斉明天皇は亡くなってしまいます。
近江大津宮
天智天皇が移したのが近江大津宮。「琵琶湖のほとり」というワードが問題ではよく使われます。景色とかもよさそうですね。
この都も天智天皇一代のみ使われます。
飛鳥清御原宮
天武天皇が移しました。飛鳥にまた戻ってきます。名前が被るからこんなに名前を長くしたんでしょうね。
飛鳥清御原宮も天武天皇一代のみでの使用となります。「飛鳥浄御原令」なんかもここで出されました。
イメージ的にはここまでの都とここからの都は結構異なっていく感じになります。
藤原京
持統天皇が作りました。この藤原京が変換点です。この都は中国の都の作りを模した作りとなっており、そういった意味で日本初の本格的な都ということができます。
平城京
藤原京をさらに改良していき、唐の長安をモチーフとしています。
恭仁京・難波宮・紫香楽宮
こちらは聖武天皇が度重なる飢饉や戦いに不安になり、移り変えた3つの都です。
それぞれ
と読みます。
紫香楽宮では、政治不安を仏教により沈めるための大仏を作る命令である「大仏造立の詔」が出されます。
(長岡京)
平城京のあと、遷都すると決めたときに最初に選んだのがここでした。
しかし、度重なる火事に加え、工事を担当していた藤原種継が何者かに暗殺されたことにより、長岡京の造営を諦めます。なんか縁起悪そうですもんね。
その後作られたのが平安京です。
平安京
ここから先は幕府など天皇とは関係ない組織が力を振るう期間が多く、1000年以上遷都は行われていません。
(福原京)
実は平清盛によって遷都の計画が持ち上がり、摂津の福原というところに遷都しようということなりました。しかし、これに貴族たちが猛反対。
平氏一族は福原京に移住することになるんですが、結局貴族たちが京に残る形となり、結局平氏一族も平安京に戻ってきました。遷都は失敗に終わったわけです。
現在の皇居は・・・
現在天皇は皇居(江戸城)にいることになっていますが、実は遷都してはないんです。実は「京都から一時的に東京に来ている」という形をとっているので遷都はしていないんだとか。
試験には出ない内容ですが、参考までに。
最後に
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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