こんにちは。
今回の記事では弘仁貞観文化をまとめています。ちなみに読み方は「こうにん・じょうがん文化」で、二つの元号が名前の由来です。
この文化と言えば、あの二人です。この文化の名前自体はそこまでメジャーなものではありませんが、「空海」「最澄」という名前を出すと分かるという人もいるかもしれません。
それではご覧ください。
弘仁貞観(こうにん じょうがん)文化とは平安前期の文化
平安時代前期に盛んであった文化です。平安時代は全部で3つ文化がありますが、それぞれ
という認識で大丈夫です。この文化は主に貴族中心にはやっていくことになり、これまでの文化と同じく唐の影響を受けていくことになります。
弘仁貞観文化の読み方と名前の由来
読み方は「こうにん・じょうがん文化」です。
「弘仁」「貞観」の二つの元号が名前の由来となっています。
弘仁貞観文化の特徴=密教文化の発達
これまでの仏教は社会へ広めるために民衆に向けて布教活動を行っていった人もいます。例えば…行基さんとかです。
ところがその文化が廃り、貴族中心で山に引きこもるタイプの宗派の密教が流行していきます。
いつの時代も、文化というのはアンチテーゼの繰り返しですよね。現代でも今流行ってるのの反対をやってけば次の文化を先取れるような気がします。
特徴その1:出てくる宗派は二つ
この2つを把握することはこの文化を学ぶ上でとても重要です。2つとも「加持祈祷(かじきとう、要はお祈りすること)」を行い、貴族に人気がありました。
総本山
総本山とは宗派ごとの一番格が高い寺のことで、本店のようなものです。
です。
と実はあと一つ…
修験道(しゅげんどう)というのが流行っていきます。修験道というのは山で修業をすることですね。一説によると天気を操れるんだとか。
特徴その2:仏教のニューウェーブ
二人とも中国にわたり、仏教について学んできました。そのあと来日し、それぞれの宗派を広めていきました。
天台宗のその後
天台宗はのちに円仁による「山門派」と円珍による「寺門派」に分かれ、対立していくこととなります。方向性の違いってヤツですね。
特徴その3:仏教に対する考え方
このくらいの時代になると日本古来の神道と仏教が合わさって考えられるようになり、このことを神仏習合といいます。日本はここら辺の宗教に対する考えがテキトーですよね。
2つものがあると比較したくなるのが人間の常。この時は「仏の方が神よりも偉い」という考え方でした。この考え方を本地垂迹説といいます。
特徴その4:この時代に書かれた(描かれた)もの
文章でいうと
が問われるところです。
絵画でいうと密教の世界観を表した絵である「曼荼羅(漢字注意、読み方はまんだら)」が発達しました。
特徴その5:この文化で建てられたもの
大学別曹(寮制の塾みたいなイメージ)が建てられます。この施設は完全に貴族用で、氏ごとに大学別曹を設けていきました。具体例としては藤原氏の勧学院が有名です。他にもいろいろありますが、とりあえずはこれだけで大丈夫。
一方空海が建てた綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は庶民も学ぶことのできる学習施設でした。
特徴その6:仏像の作り方
作り方が二種類あり、この文化では一つ目の方のやり方を導入します。一木造は最初取り入れられていた作り方で一本の木から削り出し、一つの仏像を作る作り方です。
きれいに仕上がるのがメリットですが、材料の無駄が多く、大量生産に向いていないという欠点もあります。
しかし、この文化は貴族の文化。そもそも貴族は人数が多くないので、この時代はこれで何とかなってました。次の文化の国風文化では仏像を大量生産する必要があり、その結果仏像の作り方が変わっていきます。
特徴その7:三筆
三筆とは、唐風の文字がうまい三人のことです。このころはまだ唐の勢力が強かったので、唐の文字がかけたほうが偉いんです。
の三人となっています。個人的に嵯峨天皇は忘れやすいのでご注意を。
最後に
いかがだったでしょうか?今回は弘仁・貞観文化でした。
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最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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