こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
三島通庸とは
明治時代の役人です。
福島県の県令(県知事)として、福島県の支配をしていき、のちに警視総監となりました。
素晴らしき血統
麻生太郎や吉田茂といった大物政治家の祖先でもあります。
それではやったことを見ていきましょう。
福島事件を取り締まる
これが彼の主にやったこととなります。自由党激化事件の一つの福島事件を対処することとなりました。
当時福島県の県令であった三島通庸は、県議会の意見は聞かずに政治を運営していくという方針を取っていました。
これに対して自由党員であり、県会のリーダー的存在であった河野広中は、反対運動を行うこととなりました。
三島のこの独断的な政治運営に反対するものは多く、反対運動は次第に大きなものへと成長していくこととなりました。
しかし、その結果、政府側の反抗も強くなっていき、三島に目を付けられた河野は警察に検挙され、現在の禁固刑のような処罰を受けてしまうこととなりました。
加波山事件にて爆殺されかける
河野広躰(河野広中の甥)は河野広中の敵討ちをすることが目的であったとも考えられますが、加波山事件を起こします。
河野広躰は当時栃木県の県令であった三島通庸らを爆殺する計画を立てましたが、失敗に終わりました。三島は爆殺されずに済んだということになります。
警視総監に
憎まれっ子世に憚るとはよく言ったもので、この後三島は警視総監(警察の実質トップ)にまで上り詰めることとなりました。
理由としてはいくつか考えられますが、血の影響も大きいということができるでしょう。実は三島家は血をたどると大久保利通や吉田茂、麻生太郎なんかと親戚関係があるんですよね。
特に大久保は内務卿として警察組織にも大きい権限を持っていたので、三島が警視総監になったことは偶然ではなさそうですよね。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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