デタントとは?意味・背景・冷戦との関係を大学入試向けにわかりやすく解説
デタント(détente)とは、フランス語で「緊張緩和」を意味する言葉で、主に1960年代後半から1970年代にかけてのアメリカとソ連の冷戦下における対立緩和を指します。
第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営は激しく対立しましたが、核兵器の拡散や軍拡競争への危機感から、両国は対話や軍備管理を進めるようになりました。この流れが「デタント」と呼ばれます。
大学入学共通テストや国公立大学・私立大学では、「冷戦」「東西対立」「核軍縮」「SALT」「ヘルシンキ宣言」などと関連して頻出する重要テーマです。
デタントとは
デタントとは、冷戦時代にアメリカとソ連が軍事的・政治的対立を和らげ、外交交渉や軍備管理を進めた国際関係の変化を指します。
対立そのものが完全になくなったわけではありませんが、核戦争を避けるための協力が進められました。
デタントが進んだ背景
- 核兵器の増加により全面戦争の危険性が高まった。
- キューバ危機(1962年)の経験から、核戦争回避の必要性が認識された。
- 軍拡競争による経済的負担が大きくなった。
- 国際社会で平和と安定を求める機運が高まった。
デタントを象徴する出来事
- SALT I(第一次戦略兵器制限交渉、1972年)の締結
- ABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)の締結
- ヘルシンキ宣言(1975年)による東西協力の推進
- 米ソ首脳会談の活発化
デタントの終結
1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻をきっかけに米ソ関係は再び悪化し、デタントは終わりを迎えました。
その後は軍備競争が再び激化しましたが、1980年代後半にはソ連のゴルバチョフ政権による改革(ペレストロイカ)などを背景に、冷戦は終結へ向かいました。
大学入試で押さえるべきポイント
- デタントは「緊張緩和」を意味する。
- 1960年代後半~1970年代の米ソ関係を表す。
- 核軍縮や軍備管理が進められた。
- SALT Iやヘルシンキ宣言が代表的な出来事である。
- 1979年のソ連のアフガニスタン侵攻で終結した。
関連する用語との比較
| 用語 | 内容 |
|---|---|
| 冷戦 | アメリカとソ連を中心とする東西陣営の対立。 |
| デタント | 1960~70年代の米ソ間の緊張緩和。 |
| SALT | 米ソ間の戦略兵器制限交渉。 |
| 新冷戦 | 現代の米中・米ロを中心とした国際的な対立。 |
共通テスト・難関大学での出題傾向
大学入学共通テストでは、冷戦史の流れを問う問題で、デタントとSALT、ヘルシンキ宣言の組み合わせが頻出です。
難関大学では、デタントが成立した背景や終結した理由、冷戦終結までの流れについて論述形式で問われることがあります。
「冷戦→キューバ危機→デタント→ソ連のアフガニスタン侵攻→冷戦終結」という歴史の流れを整理して理解することが重要です。
まとめ
デタントとは、1960年代後半から1970年代にかけて進んだアメリカとソ連の緊張緩和を指す言葉です。
核戦争の危険を回避するために軍備管理や外交交渉が進められ、SALT Iやヘルシンキ宣言などが実現しました。しかし、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻によってデタントは終結し、米ソ対立は再び激化しました。
大学入試では、「冷戦」「SALT」「ヘルシンキ宣言」「キューバ危機」「新冷戦」と関連付けて理解し、世界史・政治経済・公共分野の重要テーマとして整理しておきましょう。

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