こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
西園寺公望(さいおんじ きんもち)とは
明治時代から大正時代にかけて活躍した政治家です。
出身は長州藩です。
やったこと
- 世代交代、桂園時代の立役者
- 第一次西園寺内閣、鉄道国有法の制定
- 第一次西園寺内閣、日本社会党の存在を認める
- 第二次西園寺内閣、二個師団増設問題に直面
- ヴェルサイユ条約に調印
世代交代、桂園時代の立役者
西園寺公望は伊藤博文の代理なんです。
先の時代に活躍していた山県有朋と伊藤博文はお互い長州出身でお互いをライバル視しており
バチバチにやりあっていたのですが、お互いに高齢になっていました。
そこで代理を立ててさらに争うことにしました。それが彼ら。
- 伊藤博文➡西園寺公望
- 山県有朋➡桂太郎
という感じで代理を立てていました。
最終的な構図としては
「貴族院、軍部、官僚率いる桂派vs政党政治で民衆を率いる西園寺派」
という構図になっていきます。
イメージとしては
「物騒な桂VS優しめ西園寺」
といったところ。
こうして桂太郎と西園寺公望が交互に首相を担当した時代のことを
「桂」と西「園」寺で桂園時代(けいえん じだい)といいます。
第一次西園寺内閣、鉄道国有法の制定
当時は多くの民間企業が中小鉄道を運営していましたが、
この法律により全国の鉄道を国の物にします。
そして政府はこの後ここで国営化した鉄道を軍事利用していくこととなります。
第一次西園寺内閣、日本社会党の存在を認める
日本社会党の存在を認めるということで社会主義に寛容な姿勢を見せます。
の2つです。
西園寺はやっぱり桂より雰囲気優しめです。
第二次西園寺内閣、二個師団増設問題に直面
陸軍の二個師団増設(軍備を増やすこと)に反対します。理由は財政困難です。
すると陸軍大臣上原勇作が陸軍大臣の後継者を指名せずに辞任します。
この時辞意を内閣を通さず、直接天皇に伝える帷幄上奏(いあくじょうそう)という形を取ります。
軍部大臣現役武官制により陸軍大臣が不在だと内閣は成立できないので
第二次西園寺は総辞職せざるを得なくなりました。
ちなみに桂太郎は陸軍と仲が良い。何か裏がありそうですよね。
ヴェルサイユ条約に調印
第一次世界大戦で戦勝国となった日本の代表としてヴェルサイユ条約に調印します。
通常であったら首相が調印に行くのが普通ですが、
当時はヴェルサイユまで行くのにとんでもない時間を要し、
そんなに長くの間、首相が国内にいないのはマズイということで
当時首相ではない西園寺が調印まで行きました。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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