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【超重要事項】鎖国までの道のりを6ステップでまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

何とか日本国内を統一した徳川幕府。

しかしここからは外国勢力から日本を守っていかなければならない。

そんな時に彼らは何を思いどんなことを行っていったのか、今回はそんなお話です。

受験的な目線でいうと、ここら辺は並べ替え問題でもよく出てくるところ。

時系列もあわせて覚えておきましょう。

それではどうぞ。

目次

鎖国(さこく)とは?

江戸時代の初期に日本は特定の国を除いて他国と外交・貿易を行わない時期がありました。

このことを鎖国といいます。

読み方

「さこく」と読みます。

なかなか読まない文字ですが、試験には頻出なので覚えましょう。

鎖国という言葉を作ったのは?

ケンペルという人が江戸時代の日本について書いた日本誌という書物を志筑忠雄(しづき ただお)という人物が鎖国論という風に訳したのが鎖国という言葉の始まりとされています。

つまり「鎖国」という言葉の生みの親は志筑忠雄なんですね。

年号の覚え方

この単元では年号を覚えることがほぼ必須です。でもちょっとだけコツがあります。

「1612年に何が起こった?」という聞かれ方はしてきません。

どちらかというと「禁教令が出されたのは何年?」という聞かれ方です。

さらに言うと年順で並び替える問題が多い。

何が言いたいかというと年号を寸分の狂いなく覚える必要はないということです。

おすすめの覚え方はとにかく問題を解くこと。

丸暗記が得意な方はそのまま覚えてしまってもいいですが、苦手な方は問題を解きまくって出題のパターンを学習した方が効率的です。

流れまとめ

という流れになっています。数字は年号です。

詳しく見ていきましょう。

1612禁教令

江戸幕府は最初にキリスト教を持ち込まないように命令するような法律を出します。

それがこれ。禁教令の「教」はキリスト教の「教」です。

そしてこの命令に従わなかった高山右近は国外に追放されました。

結構厳しくやっていたんです。

1624スペイン船来航禁止

これはもうこのままですね。

でも結構問題に出てきます。

スペインカトリック(キリスト教の旧教)を日本に持ち込もうとしていたので特に早い処置が下されています。

1633奉書船(ほうしょ せん)以外禁止

奉書とは老中が発行した貿易許可証で、それまでの貿易では朱印状が主流でした。

朱印船貿易なんて言ったりもします。

その奉書を持った船以外の貿易を禁止。

ということで 朱印状に追加してさらにこの奉書が必要になりました。

1635日本人海外渡航禁止

これもこのまんま。

日本人が外国に出れなくなり、外国から帰ってくることもできなくなりました。

1637島原の乱

キリスト教徒の天草四郎反乱を起こしたのが島原の乱です。

これにより幕府がキリスト教をさらに警戒するようになったのは言うまでもありません。

1639ポルトガル来航禁止

ポルトガルスペインと同様に カトリック(キリスト教の旧教)を日本に持ち込もうとしていました。

かれうた船というフレーズがよく出てきます。これはポルトガル船という意味。

1641オランダ商館を平戸へ

オランダ商館を平戸という孤島に移すことで、日本の一般人との接触を断ちました。

ここからが鎖国となっています。

鎖国のその後

ここまでで鎖国は終わったわけですが、日本には4つの外交の窓口が存在しておりそれが

  • 対馬対朝鮮
  • 長崎:対中国など
  • 薩摩:対琉球
  • 松前:対蝦夷地

の四つでした。

これらを総称して「よつのくち」といいます。

最後に

みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら

そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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