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【だんだんと、さんさんと】漸次立憲政体樹立の詔とは。読み方・時代・意味内容・問題点・目的・出した人物を覚え方付きで簡単にまとめ。

こんにちは。

今回の記事はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

漸次立憲政体樹立の詔とは

明治時代の自由民権運動が盛んな頃に出されたのがこの詔です。

政府が民権派(政府に反抗する派)に向かって出したものとなっています。

読み方

ぜんじ りっけん せいたい じゅりつ の みことのり」と読みます。

「漸」の字は数学の漸化式とかと同じ字・読み方ですね。

長くて読みづらい部分はありますが、そこまで突拍子のない読み方をする単語ではありません。

覚え方

初見で見ると間違いなく圧倒されます。でも意外と簡単。

「漸次立憲政体樹立の詔」を「漸次/立憲/政体/樹立の/詔」とします。

そして簡単にかみ砕くと「漸次(だんだんと)/立憲(憲法に基づいた)/政体(政治の体制を)/樹立の(作っていく)/詔(天皇のお言葉)」という風になります。文字ごとに理解をすると何も難しくないですよね?

意味内容と問題点

ちょっとずつ国会の制度を整えていって立憲政治を作っていくよ」という事を天皇の言葉(詔)で民権派に約束した形となっています。

ただ、この詔には

  • いつ
  • どこで
  • どのように

といった詳細の部分が決まっておらず、計画としては十分なものではなかったということができます。

背景と目的、誰が出した?

このころは自由民権運動が盛んとなっており、政府に対する国民の風当たりが強くなっていた時代でした。

そんな中で政府によって讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例が出されます。

この条例は政府に対する悪口や民権派が作る新聞を規制したもので、簡単に言えば言論統制です。

ただ、このまま規制だけ行うと、当然民権派の人たちは反対しますよね。

そこで政府は漸次立憲政体樹立の詔を出すこととなります。

国会開設は民権派の目指す目標の1つであったため、「国会の制度を整える」という事を民権派に約束することで民権派の反対運動を抑えることが出来るのではと考え、この詔を出しました。

要は民権派に対しての「口封じ」の目的もあったわけです。

「詔」ということで、明治天皇が発布する形となりました。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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