こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
松方正義とは
それではやったことを見ていきましょう。
やったことまとめ
松方財政
松方正義のやった財政政策のことをこう言います。
ことの発端は西南戦争です。士族と政府との戦いであったのですが結果としては政府が勝ちます。問題はその勝ち方でなんと不換紙幣を大量に使い武器を調達していたんです。当時の政府は貧乏だったので苦肉の策ではありました。
なんとか勝った政府ですが、そこからが大変。当初こそ何事もなかったのですが次第に物価が高騰。ひどいインフレとなり日本は完全に不景気になってしまいました。そこで松方財政の出番となり、彼は緊縮財政を行うことにより少しづつインフレを抑えていきました。
第一次松方正義内閣、民党に妥協:予算の削減
前の山県有朋内閣で予算について揉めたこともあってか今回は予算は抑えめに作ります。民権派への配慮を若干ですがしているといった形です。
第一次松方正義内閣、「樺山資紀」が「蛮勇演説」を行う
予算の削減をしていった松方内閣ですが、軍の予算は削りたくなかった。しかし軍事予算が削られそうになったとき海軍大臣であった樺山資紀が蛮勇演説を行います。この蛮勇演説というのが「今の日本があるのは我々(薩長土肥)のおかげである」という内容。
この発言が藩閥政治だということで非難を大量に浴び、松方内閣は総辞職&衆議院解散➡総選挙へ行きますがここで政府は民党に負けぬよう、選挙干渉を行います。
第一次松方正義内閣、選挙干渉
選挙干渉とは民党支持者に弾圧を加えることで、首謀者は品川弥二郎(内務大臣)という人です。
- 民党支持者のポストに「民党に票を入れたらどうなるかわかっているんだろうな」などの脅し文を送る
などを行い、死亡者も出るほどの大惨事となりました。
しかし結果はというと政府の思いもむなしく、民党が圧勝することになりました。
第二次松方正義内閣=松隈(しょうわい)内閣
進歩党(リーダーは大隈重信)と連携します。進歩党は立憲改進党の後身です。そして大隈重信を懐柔し、外相へ就任させます。
松方の「松」と大隈の「隈」でこの結果松隈(しょうわい)内閣と呼ばれました。
結局、松方の増税案に進歩党が反発し、解散します。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 松方正義(長州)内閣のころの問題です。 […]