こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
何とか日本国内を統一した徳川、しかしここからは外国勢力とも仲良くしていかなければならない。そんな時に彼らは何を思いどんな行動を行っていったのか。
今回はそんなお話です。それではどうぞ。
リーフデ号事件
1600年に起こった出来事。関ヶ原の戦いと同じ年号ですね。
リーフデ号が日本に漂着してくるのですが、その時に船にのっていた
- ウィリアム・アダムス
- ヤン・ヨーステン:東京駅の地名「八重洲」はこの人から名づけられています。
の2人を幕府は登用し主に航海関係の仕事で活躍させていきます。
対メキシコ
田中勝介という人が幕府から派遣されて行きました。
通商を求めましたが結果的には却下されてしまいました。
対西欧
伊達政宗が慶長遣欧使節として支倉(はせくら)常長を送りました。
結果は失敗です。
対タイ
江戸幕府と直接の関係はありませんが有名な日本人がいます。
それが山田長政です。
彼はタイ(昔の名前はシャム)で活躍しましたが毒殺されてしまいます。
四つの口(よつのくち)
日本が鎖国をしていた時にも交易が続いていた地域のことをこう言います。
そしてその四つというのが
- 対馬:対朝鮮
- 長崎:対中国など
- 薩摩:対琉球
- 松前:対蝦夷地
の四つでした。それぞれ見ていきます。
対朝鮮
そもそも朝鮮といえば秀吉がやった朝鮮出兵で被害を受けていますよね。
そこで己酉約条(きゆうやくじょう)を結び、日本の中でも主に対馬と取引していきます。日本では慶長条約と呼びました
朝鮮は日本に回答使兼刷還使というものを送っていましたが、それがのちに朝鮮通信使となりました。そして朝鮮はこの朝鮮通信使を日本に送ることになりました。
対中国(明・清)
中国は江戸時代初期に明から清へと王朝が変わっています。
中国との国交はというと朝鮮出兵の影響もあり断られてしまいます。中国は他の交易相手もいっぱいいるので殿様商売ができるんですよね。
というわけであくまで民間レベルで交易が続いていきました。
対琉球
島津家久が琉球を制圧し、薩摩は琉球に命令ができる立場となりました。なので薩摩が四つの口の一つなんです。
薩摩藩は後にサトウキビからとれる黒砂糖を琉球に作らせます。今でも黒糖は沖縄の特産品ですよね。
対蝦夷
江戸幕府以前まで統治を行っていた蠣崎氏が松前氏に代わり、松前藩が作られていきました。
松前藩は当初武士とアイヌの人々を交易をさせる商(あきない)場知行制を取っていましたが、武士(素人)がやったということでヘタクソな商売となってしまいました。
そしてアイヌのシャクシャインが蜂起をします。結局松前藩によって鎮圧されたものの、もう商場知行制を続けるわけにはいかない。
そんなこともあってか商人とアイヌの人々が交易する場所請負制というシステムに代わっていきました。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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