こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
まあ意外と試験に出てこないのは確かなんです。でも試験に出てきやすいポイントも当然あります。今回はそんなポイントを紹介していければと思います。
それではどうぞ。
その1:信長の後を継ぎ天下統一
まずは本能寺の変で織田信長を裏切った明智光秀を倒し(山崎の戦い)、そこからも全国統一を目指します。
最終的には小田原にいる北条氏を滅ぼし(小田原攻め)天下統一を成し遂げました。
その2:太政大臣・関白に!・大阪城建設
太政大臣にも関白にもなっていきます。
そして石山本願寺の跡地に大坂城を建設します。
その3:キリスト教弾圧
です。
バテレン追放令は長崎のキリシタン大名大村純忠が長崎の土地をキリスト教に寄進(寄付)しようとしていたため秀吉が怒って宣教師を日本から出ていくように命令したというものです。
秀吉はキリスト教には批判的でしたが、貿易は許すなど対策が徹底的ではなかったため、事実上キリスト教を認めていたということもできます。
その4:惣無事令
全国の大名に「争いはこれ以上やめよう」という旨の命令を出します。これが惣無事令(そうぶじれい)です。
それだけですが試験に出すのにもってこいな難易度なので結構出てきます。
その5:海賊取締令
文字通り海賊を取り締まりました。当時は日本の海賊=倭寇が日本のみならず朝鮮・中国に対しても被害を与えていたのでこういった措置を取りました。
これも上のと同じで試験に出すのにもってこいな難易度なので結構出てきます。
その6:人掃令・刀狩令
人掃令(ひとばらいれい)は別名身分統制令とも言います。内容としては農民という身分の人には農民のままでいてもらうといった内容です。
そのための一環として刀狩令が出されました。方広寺の鐘を作るという目的で農民から刀を取り上げました。真の目的は一揆をなくす(反抗勢力をなくす)ためです。
これらのことをまとめて兵農分離政策といいます。
その7:太閤検地
信長は検地を適当に行いますが秀吉は徹底的に行います。
まずは全国で統一された枡(コメの量を計る)である京枡(きょうます)を作ります。そして全国の土地を徹底的に計っていきます。
一方で一地一作人の原則もできて、農民が土地を持ちやすくなりました。
その8:朝鮮出兵
秀吉は朝鮮への出兵も目指しました。そこで
- 文禄の役
- 慶長の役
と2回出兵を行いましたが朝鮮の李舜臣(りしゅんしん)率いる亀甲船の妨害などでいずれも失敗に終わります。
意外なものでいうと朝鮮出兵で捕虜として連れてきた朝鮮人たちによって有田焼が作られました。
文化も!
桃山文化もこの時期作られました。特徴としては豪華絢爛であることが挙げられます。
最後に
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (5件)
[…] どちらも信長の勝利で終わり、石山本願寺の跡地には豊臣秀吉によって大坂城が建てられました。 […]
[…] そしてあの「織田信長」も源氏の血統。豊臣秀吉に関しては自身に源氏の血は通っていないものの自分に箔をつけたいから源氏の系統の人の養子に自分がなり、「源氏一族」になっています。そもそも戦国武将には源氏か平氏の血統であって当たり前みたいな風潮でした。 […]
[…] きっかけは方広寺の鐘の文字です。方広寺の鐘といえば刀狩の集めた金属で作られたといいますが、そこに彫られていた金の文字に「国家安康」という文字がありました。 […]
[…] そもそも朝鮮といえば秀吉がやった朝鮮出兵で被害を受けていますよね。 […]
[…] このころはご存じの通り、争いが多いですよね。織田信長・豊臣秀吉の時代ですよ。 […]