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【当たり前】鎌倉幕府滅亡の流れをまとめ。(後醍醐天皇・足利尊氏・新田義貞・楠木正成)

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

何事もそうですが、作るのは大変ですが、壊れるのは一瞬です。そしてその原因は後になってみないとわからないものでもありますし、そこはみんなが見ているにもかかわらず、わざと見ないようにしてきたところでもあります。今回はそんなお話です。

目次

主な登場人物

です。後ろの3人は悪党と呼ばれ、幕府打倒のために徐々に力をつけていった人たちでした。

後醍醐天皇の失敗

鎌倉幕府樹立の時と同じく、最初からうまくいったわけではありませんでした。後醍醐天皇は

と2つクーデターを計画するも失敗。この後後醍醐天皇は隠岐に流されます。

三人の活躍

そこで

が登場していきます。

そして

攻撃しました。

その結果幕府はなすすべもなく崩壊していきました。

鎌倉幕府は得宗専制政治が始まって以来、幕府としての役割を果たせずにいたのでこういった形であっけなく終わっていきました。

建武の新政へ

見事勝利を収めた悪党たち。政治はまずは後醍醐天皇にさせてみることにしました。こうして始まった政治を建武の新政といいます。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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建武の新政ってなにやった?簡単にまとめ!(記録所・雑訴決断所) | 日本史エキスプレス へ返信する コメントをキャンセル

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