こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
有史以来、常にアジアの雄であった中国に日本が挑むこととなります。そしてこの戦いを機に、アジアの勢力図は転換を迎えることとなります。
きっかけは朝鮮での動き
1894年に甲午農民戦争が起こります。甲午農民戦争とは別名「東学党の乱」といい、朝鮮の東学(反対は西学=キリスト教)党が朝鮮で起こした暴動です。
これに日清両国は天津条約に基づき、通知をしたのち出兵します。
そして朝鮮内部はすぐに収まったものの日清間での争いがエスカレートし、日清戦争が勃発します。尚、この時日本はイギリスと日英通商航海条約を結び、領事裁判権を撤廃することに成功したほか、当時強国だったイギリスとの距離を近づけていきました。
日清戦争(1894)の流れ
初陣:黄海海戦で清に勝利して以降、連戦連勝でした。あっけなかったです。
清の敗因としては
- 船が木造:日本は金属製
- 西太后:この人がお金を無駄遣いした。
- 科挙制度の不完全さ:上官たちが頭だけよくて戦は苦手だった
こんなことが挙げられます。どれも試験には出てきません。
何はともあれ結果は日本の圧勝で、下関条約を中国と結ぶことになります。
下関条約(1895)
で行われました。
日本の山口県下関で行われた条約です。なので下関条約です。
内容としてはこんなものがあります。
- 清は朝鮮を独立国として認める➡清は「宗主権」を失う
- 清は賠償金2億両を日本に支払う:当時の日本円で3億円。
- 清は4港を開港(重慶、沙市,蘇市、杭州)&最恵国待遇を日本に与える
- 清は台湾、遼東半島(りょうとうはんとう・りゃおとんはんとう)、澎湖諸島を日本に割譲
簡潔に言うと日本は朝鮮を自分の支配下にでき、賠償金もゲット、中国に対してかなり強い態度に出ることができるようになり、ついでに島もゲットできた。というものでした。
この後日本はここで得た利益を使って国を発展させていきます。
日清戦争のその後=賠償金の使い道
賠償金の使い道についてです。莫大な金額だったのですぐさま富国強兵・殖産興業のために使われることとなります。具体的な使い道は主に2つで
です。
日本はこれから八幡製鉄所を中心に工業の発展をしていくこととなります。八幡製鉄所では中国の大冶鉄山(だいやてつざん)の鉄と日本の筑豊炭田の石炭を使いドイツの技術提供を受け稼働します。
「貨幣法」により金本位制が成立しました。これで欧米の国と同じ制度となり、欧米との貿易が今まで以上にスムーズにいくようになりました。
最後に この後の流れ
実はさっきゲットした遼東半島が奪われてしまうんです。三国干渉という事件です。
日清戦争後は対外関係がかなり変化していきます。
日露戦争も起こります。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (5件)
[…] […]
[…] 伊藤はまた予算を増やそうとしますが当然のごとく民党に反対されます。実は日清戦争開戦の準備のため、予算を減らすわけにはいかなかったんです。 […]
[…] […]
[…] 時期としては日清戦争後からです。 […]
[…] 日本は日清戦争で清に勝ち、下関条約を結び、遼東半島という中国の半島を手に入れることに成功します。このことがこの事件を引き起こすきっかけになっていきます。 […]