こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
この事件って体のいい口封じなんですよね。詳しくいうと「伊藤博文が自分の政権を保つために大隈重信を排除した」ということもできます。
目次
政治的・経済的な背景
政治的にはちょうど自由民権運動が台頭してきたころであり、政府はその対応にとても苦戦していた時期でありました。
経済的には当時はインフレを解消するために松方正義によるデフレ政策(松方財政)が行われていた最中でした。具体的には
- 酒税を作る:大隈重信がやった
- 官有物払い下げ:国の持っていたいらない施設を民間に売る。国としては購入金額GET&維持費削減のメリットがあった
をすることにより、デフレ政策は成功に終わります。しかし、事件が起こってしまうんです。
(開拓使)官有物払い下げ事件・明治14年の政変
関西貿易社の五代友厚が国の黒田清隆から不正な値段で官有物を譲り受けた事件が起こってしまいます。
この事件を(開拓使)官有物払い下げ事件といいます。
この事件により、民権運動が盛り上がってしまい、政府は当時の民権派のリーダーである大隈重信を政界から追放してしまいます。そしてこの事件を明治14年の政変といいます。
大隈の逆襲
この直後、大隈重信は板垣とおなじく、政党を作り、政府に反抗していきました。
この時作ったのが立憲改進党。そしてこの党は板垣の作った自由党に負けるとも劣らない勢力となっていきます。
最後に
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今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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