こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
西郷隆盛も有名な人物ですが、覚えるべきところというのはそこまで多くはありません。その代わりに流れが大事だったりするのでそこはきっちり覚えていきましょう。
薩摩藩出身・維新の三傑
同じ薩摩藩出身の人としては
- 大久保利通
などがおり、大久保と西郷は幼なじみでした。
また、西郷は大久保と長州藩の「木戸孝允」と共に「維新の三傑」として倒幕に貢献しました。
どういう風に貢献したのかというと・・・
その1:倒幕・江戸無血開城に貢献
西郷は幕府を倒す際、幕府側の勝海舟と話し合うことにより、江戸での戦いをなくしたことで有名です。
これのお陰で市民が戦火に巻き込まれることがなかったため、東京は大きく発展していくことになります。
その2:留守政府のリーダーとなる
大久保は伊藤博文・岩倉具視らと共に海外に留学・条約改正に行ってしまいます(岩倉使節団)。
この時、日本国内の政治を任されたのが西郷。留守政府として活躍しました。
そしてこの時日本国内ではある思想が流行っていました。
その3:征韓論
それがこの思想。「武力で朝鮮を支配しよう」という論です。
そこに先程の岩倉使節団が帰国。海外を見てきた彼らはこの論に反対します。結果、征韓論は却下されることになりました。
西郷はこの決定に納得がいかず、政界を下野(政治から距離をおくこと)します。この事件を「明治6年の政変」といいます。
さらに大久保達は財政削減のため、士族(武士)の地位を下げる行動をとってしまいました。
武士と言えば江戸時代には1番偉かった人種。当然批判が士族内で出てくるわけです。
その4:反乱士族の代表に
西郷と士族達、お互い国に見捨てられた人たちです。当然結び付きが強くなります。
というわけで西郷は士族と共に新政府に向かって反乱を起こして行くことになります。
士族の反乱は何回かあったのですが、1番大きな戦いが・・・
その5:西南戦争・最期
この戦争です。
西郷達は最後の力を振り絞ってこの戦いに望みました。迎えうったのは幼なじみの大久保利通。
結果、政府軍が勝ち、西郷率いる士族達は敗北。リーダーである西郷は自ら命を絶ってしまいました。
西南戦争は年号の1977年も覚えておくといいと思います。ぞろ目なので比較的覚えやすいかと。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
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[…] そして、西郷隆盛は同じく政府に不満を持っていた士族と組み、軍事で政府に反抗していくこととなります。 […]
[…] 西郷隆盛 […]
[…] 留守政府の期間に成立し、特に西郷隆盛が推進していた政策です。 […]