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【近世武士の結晶】日本史で重要な源氏の流れをまとめ。

こんにちは。

今回の記事はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

源氏(げんじ)とは?

平安時代にできた武士の一族です。

同じ武士の一族である「平氏(へいし)」とは平安~鎌倉時代にかけて大きな争いを繰り返しました。

源氏のすごさ

それは血統です。

源氏というのはほとんどの武士の始祖といっても過言ではありません。

源氏と聞いて浮かんでくるものといえば源頼朝だと思うんですけど、

実は鎌倉時代の後にも影響力を与えていきます。

例えば室町幕府を開いた足利尊氏も源氏の血を引き継いでいます。

ちなみに北条氏は平氏に近い血統です。

そしてあの織田信長も源氏の血統。

豊臣秀吉に関しては自身に源氏の血は通っていないものの、

自分に箔をつけたいから源氏の系統の人の養子に自分がなり、「源氏一族」になっています。

そもそも戦国武将には源氏か平氏の血統であって当たり前みたいな風潮でした。

そんな血統がどのように発展していくのか、見ていきましょう。

源経基(みなもとの つねもと)

清和天皇から続く清和源氏の系統の人です。

ここから出てくる人は全員清和源氏です。

源氏伝説は源経基が作っていきました。

この人がやった功績としては藤原純友の乱を平定したことが挙げられます。

この乱を平定したことにより

源氏は京都の貴族に用心棒として登用され、発展していくこととなります。

源頼信(みなもとの よりのぶ)

この人は平忠常の乱を平定しました。

こういったところで用心棒としての信頼を得て、源氏は成長していくこととなります。

源頼義(みなもとのよりより)・源義家(みなもとの よしいえ)

この二人は親子です。

何をやったかというと前九年・後三年の役の平定です。

この戦いにより、平泉中尊寺金色堂で知られる奥州藤原氏が誕生しました。

なので奥州藤原氏は源氏に頭が上がらないんです。

源為義(みなもとの ためよし)・源義朝(みなもとの ためとも)

二人は平清盛と戦います。

為義は保元の乱で、義朝は平治の乱で平清盛に討たれてしまいます。

義朝には子供がいたんですが、平氏の同情(子供処刑するのかわいそう)によって運よく助けられます。その子供の名前は・・・

源頼朝(みなもとの よりとも)

この人です。おそらく一番有名な人ですね。

弟の源義経と協力し平氏を滅ぼし鎌倉幕府を作りました。

妻の北条政子承久の乱で活躍しました。

この人が奥州藤原氏を滅ぼしてしまうんですね。ほかにやったことはこちら

源頼家(みなもとの よしいえ)

一応鎌倉幕府の二代目将軍なんですが

この人は北条時政によって伊豆の修善寺に流されてしまいます。

当然政治は行えず、ここからは代わりに北条氏が政治をやっていくことになります。

そして源頼家は修善寺で殺されてしまいます。

源実朝(みなもとの さねとも)

一応鎌倉将軍の三代目

当然政治は北条氏がやることになります。

彼は歌を作るのが上手で金槐和歌集という歌集を作るほどでした。

しかし、鶴岡八幡宮で歩いている途中、頼家の息子である公暁(くぎょう)という男に暗殺されてしまい、

頼朝系列の本家は途絶えてしまうこととなります。

ちなみにここからの将軍は京都からスカウトしてきました。

そしてここからも相変わらず幕府の政治を行ったのは北条氏でした。

最後に

そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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