今回で大台 第10回目です!
反戦派&推進派
反戦派
「 」はキリスト教の立場から反戦
「幸徳秋水」「堺利彦」も反対。
「与謝野晶子」:「君死に給うことなかれ」で戦争反対を主張
推進派
「 七博士の意見書」:代表的な教授は「戸水寛人」←非現実的
「対露同志会」:会長は近衛篤麿(子は「近衛文麿」)。
結果:「万朝報」が開戦派に転じたこともあり、国民の世論は開戦寄りに。
戦争勃発
1904年、日露戦争勃発、日本はアメリカやイギリスから借金し、戦いに挑む。(風刺画「日露戦争」参照:いかに日本が不利だったか)
「日本には長期戦をする余裕がなかった」
戦況
大将は「乃木希典」
奉天会戦:陸の戦い。多数の犠牲を出すも勝利
「 海戦」:無敗の「バルチック艦隊」を日本の海軍が全滅させる。
結果:日本は優勢だったが…「日本には長期戦をする余裕がなかった」。ロシアも革命がはじまり、戦争が続行不可能に➡アメリカの「 =ローズベルト大統領」に仲介を頼み、日露間で条約を結ぶ➡アメリカのポーツマスで結ぶから 「 条約」。
条約の内容
日本側代表は「 」ロシア側代表は「 」
日本が有利のまま終戦したので、日本に有利な内容
- ロシアは韓国の支配権を日本に認める
- 日本は「旅順」「大連」の租借権を得る
- 日本は北緯50度以南の樺太の領土を得る
- 日本はカムチャッカ海での漁業権を得る
しかし、肝心の「 」が取れず(国民はアメリカやイギリスから借りた日本の借金返済のため、増税を強いられていた)、人々は暴動を起こす➡「 事件」:条約反対派が日比谷にある交番に火をつけた事件
これにより、桂①は総辞職。
<日露戦争後のその後>
日本は賠償金こそ取れなかったものの、無形の莫大な利益を得た。
韓国併合
- 1904年、日韓間で第一次日韓協約を結ぶ。(強制的に)
内容:日本が韓国政府に財政、外交顧問を設置。
- 1905年「 協定(密約)」を結ぶ。
内容:日本の韓国支配をアメリカに認めさせ、逆にアメリカのフィリピン統治を日本が認める。
- 同年、「第二次日韓協約」を結ぶ
内容:日本は韓国の「 権」をはく奪。統監府を作り、初代総督に「 」がなる。韓国はこれに対抗、「 事件」を起こす。
「 事件」:オランダのハーグで開催された。「第二回」万国平和会議で韓国の皇帝「 」が日本の行動を列強にチクる➡しかし、列強たちは無視(自分たちも中国分割などで侵略活動をしていたから)➡これをきっかけに高宗が退位させられ、
- 「第三次日韓協約」を結ぶ。
内容:韓国の内政権を日本が得る。➡韓国は実質日本の物に➡韓国内で日本の統治に反対する「 運動」が起こる。
1909年「 暗殺」:ハルビン駅で「 」に暗殺される➡安重根は韓国内で英雄視される。
- 1910年、日本は「韓国併合条約」を結ばせる
内容:①漢城を京城と改称②「朝鮮 府」を設置。「 」が初代総督。
韓国での諸政策
日本は韓国を憲兵を中心に厳しく管理
- 「土地調査事業」を行う:税を納めさせるため、人と土地を一致させる。この時誰のものでもない土地は日本に没収されてしまい、その一部は「 会社(韓国への支配の中心となった組織)」へ
- 韓国統監府の代わりに「朝鮮 府」設置。初代総督は「 (陸軍)」。
今回は以上です。お疲れさまでした~ いつもご覧いただきありがとうございます!
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