今回は第3回です!
<教育、出版、その他>
<教育制度>
文部省設置、「 制」を公布:「 」の教育制度をまねる➡失敗に終わる:学区制による強制➡「 令」:「 」の教育制度➡学校令森有礼文部大臣
<政治結社>
<自由党と立憲改進党の違い>
支持層 自由党:「 」 改進党:「 」の知識人
求める国会 自由党:フランス流 改進党:イギリス流
「 社」:福沢諭吉、森有礼、加藤弘之(東大初代総長)などから構成された啓蒙団体(年号 )「 雑誌」を刊行(1874)。
<出版物>
<憲法私案>
「 」
起草者:植木枝盛(土佐)
「 権、 権」など画期的な制度を組み込む
「 憲法」
現あきる野市の青年団体が起草
基本的人権を記載
<新聞>
「横浜日日新聞」:日本最初の日刊新聞
<郵便制度>
「 」が設立。
<文明開化=p271、272>
<お雇い外国人、日本の偉人、文化(p311~317)>
ボワソナード:「民法典論争」で登場
<国外情勢>
【江戸までのおさらい】
日本はアメリカを主とする列強たちに不平等な通商条約を結ばされており、国内からは非難もあった。
【明治初期~日清戦争まで】
キーワード:「常に日中間でのアジア諸地域の奪い合いがあった」
<争い(陣取りゲーム)の始まり>
1871年、「日清 (平等条約)」を締結。:清という大国と日本が平等条約を結ぶこと自体前代未聞。ただし、当時の清はアヘン戦争に負けたばかりで、力は弱くなっていた。
<琉球>
1872年、日本、琉球王国に「 藩」を設置:当時の琉球は二股状態。この事件で、琉球王国消滅:琉球王国最後の王=「 」
➡中国は抗議
1879年、日本、「琉球 」を実施:沖縄県になり、完全に日本のものに。
<台湾>
1873年、岩倉使節団は征韓論を却下、にもかかわらず、1874年「 出兵」を行う。口実は「琉球漂流民殺害事件」。この時木戸は下野。当時台湾は清国の属国であったが事件の責任を取らなかったため、日本が占領➡「 」側の調停があり正式に日本のものに➡日中関係悪化。
<北方>
p274参照
「千島、樺太交換条約」:「 (旧幕府軍)」が交渉。
<朝鮮>
江戸時代まで、朝鮮は中国と朝貢関係にあった
1875年、「 事件」で日本はアメリカにやられたことをそのままやり返す➡追い込まれた朝鮮は「日朝 (不平等)」を結ぶ➡朝鮮開国。「宗主国」である中国はこの条約を認めなかったが、以後日本は朝鮮を侵略するようになる。
そして、開国と同時に、朝鮮内部での改革が起こる
「親日派vs親清派」
「 軍乱」(1882)
親日派:「 妃」vs親清派:「 」。大院君が起こした親日派打倒の反乱(大院君の息子が高宗、高宗の嫁が閔妃)、反乱は失敗。
閔妃、親日派から親清派へ
「 事変」(1884)
親日派:「 」(独立党)vs親清派:閔妃(事大党)、金玉均が日本から援助を受け、クーデターするも失敗。金玉均は日本に亡命。
➡日中ともに戦いは避けたかったので、日中間で「 条約」を結ぶ。:両国は朝鮮から撤兵し、次に兵を出すときはもう一方に連絡しなければならない「 通告制」。
こうして日中の関係は、表面上はよくなったが、お互い朝鮮の利権を手に入れることを考えていた。
そんな中、福沢諭吉が「 論」を出す。
内容:アジアに固執せず、西欧と話し合おう!
今回は以上です!ご覧いただき、ありがとうございました!
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