こんにちは。
今回は平安時代の幕開けの象徴でもある桓武天皇について解説していきます。
桓武天皇とは?いつの時代?
藤原百川が擁立した天皇である光仁天皇の次の天皇です。時代でいうと平安時代になります。
母親に高野新笠という渡来人系の血が入った人を持った天皇です。
平安京遷都
平安京造営には一悶着あるんです。詳しくはこちらから
この事件を機に「むっちゃ民衆にやさしくなろう!」と考えた桓武天皇は、「民衆にやさしい」政策を取っていきます。
「征夷大将軍」派遣
これまで日本は陸奥国府の多賀城を建設して統治を進めていたんですが、蝦夷の一族であった「伊治呰麻呂」によってこの施設が燃やされてしまいます。
蝦夷のリーダーに阿弖流為(アテルイ)という人がいて、この人が戦上手でした。この人の戦略により、その後何回か侵略を試みるもの侵略が難航してしまうんです。
そこで白羽の矢が立ったのが坂上田村麻呂なんです。坂上田村麻呂は征夷大将軍に任命され、胆沢城(いさわじょう)を建設します。征夷とは「蝦夷を征する」という意味ですね。
そしてついに阿弖流為を降伏させることにも成功しました。蝦夷についての詳しい記事はこちら。
徳政相論
当時国にはおカネがなく、事業が思うように進んでいなかったんです。そこで事業を打ち切るかどうかについての論争が始まります。
- 菅野真道は継続を主張したのに対し、
- 藤原緒嗣は「天下の民が苦しむところは軍事と造作である」として、
平安京造営と蝦夷攻略の二つのことを中止するように天皇に提案しました。
桓武天皇はどちらを採用したかというと…藤原緒嗣の方を採用します。
というわけで「平安京建設は中途半端で蝦夷には深追いしない」というのが今後のスタンスになっていきました。
民衆のために…
農民の負担軽減を積極的にやっていきます。
- 戸籍を作る間隔を6年から12年にした。
これが桓武天皇が民衆のために行ったことです。多少なりとも民衆のためになってはいますね。
勘解由使設置
財政悪化の一因であった国司制度をただすために勘解由使を設置し、国司の交代を厳しく監視しました。
勘解由使は令外官と呼ばれる大宝律令に規定されていない官にあたります。他にはこれから出てくる「検非違使」「蔵人頭」などがありますね。詳しくはコチラ。
結果は…
民衆のためを思った政策を打ち上げた桓武天皇でしたが、実はあまり効果はなく、民衆を救うことは出来ませんでした。結局民衆からしたら当時は
- 疫病対策
- 飢饉対策
の方がやってほしかったんでしょうね。
最後に
次の天皇はこちら。

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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