こんにちは。
今回は白村江の戦いについて解説していきます。
それではいってみましょう。
目次
白村江の戦いとは?読み方は?
奈良時代に起きた戦いです。天智天皇の一個前の天皇「斉明天皇」の時に起きました。
読み方は「はくすきのえ(の戦い)」「はくそんこう(の戦い)」のどちらでも構いません。
日本VS唐・新羅
日本は唐と新羅によって攻めこまれていた百済の「鬼室福信(きしつふくしん)」という人物から、救援要請を受け、唐・新羅連合軍と戦います。
百済は日本と仲が良かったので日本としてもこの救助要請を無視するわけにもいきませんでした。
想像通りだけど…負け。敗因は?
日本、大敗します。まあそうだよねって感じです。もともと唐と新羅といったら、当時のアジアの雄です。それに対して日本は付け焼刃の兵で立ち向かったわけです。完全な負け戦です。
敗因はというと単純に弱すぎたということになります。太平洋戦争と一緒ですね。
日本が危機に
でも今回の戦いで日本の無力さが露呈してしまったので、唐・新羅がいつ攻めてくるかわからなくなってしまいました。
さあどうする?というわけで海防を徹底的に行います。
例えば
- 水城
- 朝鮮式山城
なんかを作りました。これをやったのは天智天皇で天智天皇のページに具体的な政策が載っているので、詳しいことが気になる方はご覧ください。こちらです。
最後に
今回の記事は以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (6件)
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[…] その後彼は白村江の戦いなんかにも行くことにはなります。 […]
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