こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
どんな戦い?
鎌倉時代に起こった戦いです。皇族の後鳥羽上皇と鎌倉幕府軍が戦った戦いです。皇族と幕府軍が戦う機会はこれと明治時代の戊辰戦争しかなく、このシチュエーションは結構貴重であると言えます。
それでは詳しいところを見ていきましょう。
後鳥羽上皇の野望
事の発端は後鳥羽上皇なんです。彼は幕府が持っている政権を天皇側に返すべく様々な準備をしていきます。その代表例が西面の武士。彼は軍事力をつけ、ついに幕府側の北条義時を倒すよう全国に命令を出します。元天皇が出す命令ですからね、さぞかし影響力はすごかったでしょう。
後鳥羽上皇、勝ちそうです。
結果は・・・
後鳥羽上皇側が敗北しました。なぜだ?
よく言われている理由は北条政子(サムネの人)の演説。彼女は御家人たちに源頼朝の恩について説き、幕府軍につくように説得したんです。するとほとんどの御家人が幕府側につき、戦いに慣れている幕府軍が勝利したということになっています。
負けた側には当然ペナルティーが課せられます。基本刑は島流し。有名なのは
- 後鳥羽上皇➡隠岐へ島流し
です。これ以外にもいますがとりあえずは後鳥羽上皇だけで大丈夫。余裕が出来たら他のも覚えてみてください。
この乱の影響①:六波羅探題
この乱以降、幕府軍がすることは当然天皇にこれ以上政治の邪魔をされないようにすることですよね。そこで作ったのが六波羅探題。幕府軍はこの組織を使い、天皇の監視及び京都の治安を守ることを行いました。
これ以降鎌倉時代には天皇・皇族による戦いはありません。この政策は成功であったといえるでしょうね。
この乱の影響②:新補地頭
この乱のおかげで幕府は後鳥羽上皇側の西国の土地を手に入れることに成功します。まずは御家人たちに新恩給与というわけで土地を渡していきますがその際新しく地頭になる者が現れ始めます。この地頭のことを新補地頭といいます。
ちなみにそれまで地頭だった人たちを本舗地頭といいます。「~本舗」ってここから来てるんですかね?
新しく地頭となった彼らに幕府は新補率法という制度を設け、新補地頭の立場を保障していきました。こうやって幕府は好感度を上げていくわけです。封建制度の理想形。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (3件)
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