こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
目次
北条時政・義時とは?
時政は鎌倉幕府の初代執権、義時は2代目です。執権という役職だったので将軍の補佐をしていくことになります。
それでは具体的に何をやったかを見ていきましょう。
他氏排斥
北条氏もまた他氏排斥をやっていくことになります。
の3人を排斥していくことになります。
特に和田義盛の時は大乱闘になり、和田合戦と呼ばれる戦いにまでなりました。和田義盛自身も侍所と呼ばれる幕府の軍事担当の部署のリーダー(別当という)だったので、この一族が滅ぼされたことは間違いなく他の一族にも影響を与えたでしょうね。
承久の乱
後鳥羽上皇と戦います。戦いが始まる前は上皇側が優勢といわれていましたが、北条政子の説得もあり最終的には御家人のほとんどが幕府側につき、見事幕府軍は勝利を収めることとなります。
その後に六波羅探題を京都に置き、天皇に怪しい動きがないかを監視するようになりました。承久の乱については詳しくはこちら。
将軍の暗殺・摂家将軍の受け入れ
時の将軍であった3代将軍源実朝が暗殺されてしまいます。その結果頼朝から続く源氏将軍の血が途絶えてしまうこととなりました。
困った幕府側は京都からお飾りの将軍を持ってくることにします。つまりここからは将軍が政治に出てくることはありません。持ってきたのは藤原頼経、摂関家から持ってきたので摂家将軍と呼ばれました。
最後に
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 事の発端は後鳥羽上皇なんです。彼は幕府が持っている政権を天皇側に返すべく様々な準備をしていきます。その代表例が「西面の武士」。彼は軍事力をつけ、ついに幕府側の北条義時を倒すよう全国に命令を出します。元天皇が出す命令ですからね、さぞかし影響力はすごかったでしょう。 […]
[…] 一応鎌倉幕府の二代目将軍なんですが、この人は北条時政によって伊豆の修善寺に流されてしまいます。 […]