こんにちは。
今回は聖武天皇について解説していきます。
それではどうぞ。
聖武天皇とは?
藤原氏に近い血縁を持つ天皇です。奥さんが光明皇后といい、この人もまた有名な人です。
聖武天皇は仏教に凝っている人物で、このころの病気蔓延、争いが続いていた世の中を仏教の力で変えていこうとしていました。この思想を鎮護国家思想といったりもします。
聖武天皇は橘諸兄(たちばなのもろえ)という人とタッグを組み、政治を行っていきます。
争いが続く…伝染病が流行る…
聖武天皇の在位中に藤原広嗣という人が橘諸兄の政治に反抗し乱を起こすんですが、鎮圧されてしまいます。また、当時は伝染病が流行っており、政治的にも不安な要素が多かったんですが聖武天皇は仏教の力で直そうとします。
いつの時代も生きることが不安になった人の行きつく先は宗教です。この思想を鎮護国家思想といったりもします。大事なことなのでさっきと合わせて二回言いました!
その1:遷都の連続
「藤原広嗣」の争いを機に聖武天皇は都を
- 恭仁(くに)京
- 難波(なにわ)宮
- 紫香楽(しがらき)宮
と都を転々と移すこととなります。心配性なのでしょうね。
その2:政治的には…橘諸兄とタッグ
もちろん天皇一人で政治はできず、補佐役のような人が必ずいるのですが、聖武天皇の場合は橘諸兄(たちばなのもろえ)がこれを担当します。このタッグで政治的・仏教的な政策を出していくことになります。
その3:仏教政策
聖武天皇は仏教が好きなので、そっち関連の政策を出していきます。
まずは国分寺建立の詔を出し、全国に国分寺・国分尼寺が作られました。東京にある「国分寺」という名前の由来です。でも国分寺はあそこだけにあるのではなく、全国各地に作られました。全国の国分寺を束ねているのは奈良県にある東大寺です。
さらに大仏造立の詔を紫香楽宮にいる際出し、東大寺の大仏が完成しました。東大寺は国分寺の中のリーダーです。
大仏は作るのにも苦労したのですが、その際の素材集めを行基というお坊さんが積極的に行いました。行基は法相宗という仏教の宗派ですが、実は仏教にはもっとたくさんの宗派があるんです。
その4:墾田永年私財法制定
墾田永年私財法を制定します。内容としては「開墾(田んぼを耕す)した人に土地所有権を永遠に認める」という法律です。この法律により公地公民制が弱くなっていくことになります。
詳しくはこちらのページへ。
次の天皇たちは…
ここからの天皇の移り変わりは流れとともにやったほうが理解しやすいので、こちらをご覧ください。
尚、次の天皇独自のページは桓武天皇です。こちらです。
最後に
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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