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【暴れん坊将軍】享保の改革(徳川吉宗のやったこと)とは。簡単にまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

暴れん坊将軍のイメージが強すぎるがゆえにとんでもない大改革を行ったようなイメージがある彼ですが、

実はものすごく堅実に幕府を運営していきました。今回の記事はそんな話です。

それでは本題に入ります。

目次

この人がやった

徳川幕府の8代将軍徳川吉宗が担当しました。

彼はもともと紀伊徳川家で将軍の家柄ではなかったんですが、

紀伊での政治の成果が評価されていました。

そしてちょうど7代将軍の跡取りがいなかったこともあり、将軍となりました。

人員採用

主な人物は

この2人です。

大岡は

  • 小石川養生所:無料で病人の治療が行える
  • 町火消:当時の家は木造➡火事の時延焼を防ぐための組織

を作りました。

これらのことは評定所に設置されていた目安箱をつかい、

一般民衆のアイデアを取りいれたものです。

相対済し令(あいたい ずまし れい)

当時江戸の裁判所(評定所)は人々の土地についての裁判で手いっぱいになっていました。

そこで徳川吉宗は土地についての争いごとは

評定所を介さずに当人たちだけで解決するようにしました。

これが相対済し令です。

上げ米の制(あげまいの せい)

吉宗はとにかくコメにうるさいです。

この制度は大名たちが幕府に10000石のうち100石(1%)のコメを払い、

代わりに大名の参勤交代の期間が半分になるという方式でした。

これが上げ米の制

大名からしても参勤交代はとても負担になるので

それが半分になるのは両者にとって良かったでしょうね。

足高の制(たしだかの せい)

江戸幕府はある程度の土地(石高)持ちでないと役人になることができませんでした。

そこを改善していこうとした徳川吉宗は優秀でかつ石高が足りない人がいた場合は

その人の石高在職中に限り増やし、幕府に登用するというシステムを作りました。

これが足高の制

定免法(じょうめん ほう)から検見法(けみ ほう)へ

年貢の取り方を変更しました。

  • 検見法(けみほう):その年のコメの取れ具合で税率を決める

から

  • 定免法(じょうめんほう):取れ具合にかかわらず税率を一定にする

に変えます。

漢訳洋書の輸入緩和

これにより西欧の技術が日本に入ってきて、

それについて研究した学問である蘭学(らんがく)が発達していきます。

蘭学が始まったばかりのころの代表的な人物は

です。

公事方御定書(くじかた おさだめがき)

当時は恐ろしいことに裁判の罰などの基準が場所ごとにバラバラでした。

というわけでこの問題を解決したのがこの公事方御定書

裁判関係というイメージでいれば詳しいことは知らなくて大丈夫です。

質流し禁令(しちながし きんれい)

幕府から農民に与えていた田畑について、

田畑永代売買禁令では売り買いはすでに禁止されていたんですが、

質に流す行為に関しては禁止されていませんでした。

というわけで田畑を質に流すことを禁止します。

これが質流し禁令です。

商業

株仲間を奨励します。

株仲間というと田沼意次を連想する方も多いと思いますが、徳川吉宗もやってます。

そして堂島米市場を公認するなどの政策を行っていきました。

結果

結論から言うとあんまり効果はなかったんですよね。

効果はあったにはあったんですがいかんせんやったことがマメすぎる

さっきから見ているとひとつひとつのインパクトがそこまでなさそうですよね。

ただ徳川将軍としてはやるべきことをやったのかなと個人的には思っています。

老中とかが言いづらいことをやってくれた幹事はしますね。

やはり一番痛かったのが享保の飢饉

大きな飢饉で少なくとも経済においてはこれで吉宗のやってきたことが台無しになった感じはあります。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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