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【ハイブリッド】日本における仏教の歴史を総まとめ

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

目次

伝わったのはいつ?誰に?

公伝私伝があります。公伝とは公式、私伝とは非公式な伝わりかたです。

公伝百済から伝わり、当時の天皇である欽明天皇に伝わりました。

私伝はもっと早かったといわれており、司馬達司(しば たつと)という渡来人が伝えていたといわれています。

この司馬達司という人は飛鳥文化で出てくる鞍作鳥のおじいちゃんです。

蘇我氏VS物部氏

仏教を取り入れることに賛成な蘇我氏反対であった物部氏の間で戦いが起こりました。

結果は蘇我氏の勝利

こうして仏教が日本に浸透していくことになります。

飛鳥時代になるとが作られていき、その中に仏像仏典が作られていくことになります。

これは完全に仏教の影響ですよね。

奈良時代、南都六宗

そうして広まっていった仏教。

一口に仏教といってもいろんな宗派がありました。

奈良時代に盛んであった6つの宗派をまとめてこういいます。

詳しい解説はこちらからどうぞ

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神仏習合(しんぶつ しゅうごう)

このくらいの時代になると日本古来の神道と仏教が合わさって考えられるようになり、このことを「神仏習合」といいます。

日本はここら辺の宗教に対する考えがテキトーですよね。

例えば日本人って寺と神社の違いってあまりわからないじゃないですか。

寺が仏教で神社が神道となっています。

2つものがあると比較したくなるのが人間の常。

この時は「仏の方が神よりも偉い」という考え方でした。

この考え方を「本地垂迹説(ほんちすいじゃく せつ)」といいます。

平安時代初期、密教(みっきょう)の登場

このころ、空海と最澄が来日し、山に引きこもるタイプの仏教「密教」を流行らせます。

これが貴族たちに大流行!

この後盛んに密教が行われていきます。

平安時代中期、浄土宗の登場

中期になると、「浄土宗」が流行ります。

きっかけは「末法思想(まっぽう しそう)」。

釈迦が亡くなってからこの世はどんどん悪くなっていき、最終的に滅亡するという思想です。

どうせ滅亡するんだから現世ではなく来世に期待しますよね。

そこで「死んだ後、極楽浄土に行ける」という浄土宗が流行ったわけです。

藤原頼通なんかは極楽浄土をモチーフにした「平等院鳳凰堂」を建てています。

鎌倉時代、鎌倉仏教の登場

室町時代、一向一揆の発生

鎌倉仏教の中の浄土真宗(一向宗)

戦国時代、仏教VS織田信長

織田信長は仏教勢力が全国統一の妨げになっていたので仏教勢力を倒そうと計画しました。

そこで「比叡山焼き討ち」「石山合戦(石山本願寺)」などを行い、

仏教を徹底的に攻撃しました。

代わりにキリスト教は保護していきました。

理由は仏教勢力を弾圧したかったからです。

江戸時代の仏教

仏教は保護されて行きました。

なぜか?キリスト教を弾圧したかったからです。

織田信長の時と立場が逆になりましたね。

豊臣秀吉も同じ目的で仏教を保護していきますが、江戸幕府もこの政策を引き継いでいきます。

明治時代の仏教

明治時代になると天皇の関係で神道と仏教が切り離され(神仏分離)、仏教が取り除かれていくことになりました(廃仏毀釈)。

そんな中、島地黙雷(しまち もくらい)が仏教の地位の維持に尽力し、今に至っています。

現在の仏教

政教分離の影響で政治に影響を出すことはないですが、

信教の自由によって立場は保護されています。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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