こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
藩閥政治とは
江戸時代には現代でいう県のような行政区画である藩というものがあったんですが、明治時代以降の政治を特定の藩の人だけで行ってしまうことをこういいます。
現代で例えると「千葉県出身の人だけが政治を行っている」ような状態です。異常ですよね。
主な藩は「薩長土肥」
江戸時代の
- 薩摩(さつま)藩
- 長州(ちょうしゅう)藩
- 土佐(とさ)藩
- 肥前(ひぜん)藩
の4つです。総称して「薩長土肥」という言われ方をすることもあります。
これらの藩の人たちが江戸幕府を倒し作ったのが新政府なので、この藩出身の人たちが多少優遇されるのは仕方のないことのような気がしますが、やりすぎると当然批判が出ますよね。
問題点
藩閥政治がまかり通ってしまうと特定の藩出身の人の声が強くなり、最終的にはその藩の人の意見しか通らなくなってしまいます。
そうなるとほぼ独裁政権のようになってしまうんです。そうしたら他の藩出身の人からしたら自分の待遇は江戸時代と何ら変わらないですよね。むしろ悪化してるぐらいです。
もちろん民主主義的な観点からもこのことは決して良いことではないです。
蛮勇演説において藩閥政治が問題に
松方正義(長州)内閣のころの問題です。
予算の削減をしていった松方内閣ですが、軍の予算は削りたくなかった。しかし軍事予算が削られそうになったとき海軍大臣であった樺山資紀が蛮勇演説というものを行います。
この蛮勇演説というのが「今の日本があるのは我々(薩長土肥)のおかげである」という内容。
この発言が藩閥政治だということで非難を大量に浴び、松方内閣は総辞職することとなりました。
大正政変(第一次護憲運動)において藩閥政治が問題に
桂太郎(長州)内閣の時の出来事です。
桂は大正天皇の内大臣兼侍従長になっており、その人物が首相となることは「宮中府中の別」を乱すということになり批判が殺到したんです。
このことから第一次護憲運動が行われることとなります。
といった政治家を中心に一般人まで多くの人が参加。この運動のスローガンは
- 閥族打破(ばつぞくだは。意味は藩閥政治やめろ)
- 憲政擁護(けんせいようご。意味は憲法まもれ)
の2つ。この時桂太郎も抵抗し、立憲同志会という政党を作るも民衆のデモが収まらず、第三次桂内閣はは2カ月も持たずに総辞職し、桂太郎自身もこの直後に亡くなってしまいました。
この一連の出来事(第一次護憲運動を含む)を大正政変といいます。
藩閥政治の消滅
大正政変を境に藩閥政治は問題とされなくなっていきました。おそらく原因は「薩長土肥出身」の人がいなくなっていったからなのではないでしょうか。
例えば明治時代以降に生まれた人は「土佐人」ではなく「高知県民」になっていたということですね。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (9件)
[…] この発言が藩閥政治だということで問題となりました。非難を大量に浴びた松方内閣は総辞職することとなります。 […]
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