こんにちは。今回はこんなテーマでやっていきます。
桂太郎とは
生まれは長州で、山県有朋にとても気に入られていました。
やったこと
- 世代交代、桂園時代の立役者
- 第一次桂太郎内閣、日比谷焼き討ち事件
- 第二次桂太郎内閣、戊申詔書(ぼしんしょうしょ)を出す
- 第二次桂太郎内閣、地方改良運動を実施
- 第二次桂太郎内閣、大逆事件を機に社会主義を大弾圧
- 第二次桂太郎内閣、韓国併合を実行
- 第三次桂太郎内閣、第一次護憲運動により即辞職
といった形です。
世代交代、桂園時代の立役者
桂太郎は山県有朋の代理なんです。
山県と伊藤はお互い長州出身でお互いをライバル視しておりバチバチにやりあっていたのですが、お互いに高齢になっていました。そこで代理を立ててさらに争うことにしました。それが彼ら。
- 伊藤博文➡西園寺公望
- 山県有朋➡桂太郎
という感じで代理を立てていました。
最終的な構図としては「貴族院、軍部、官僚率いる桂派vs政党政治で民衆を率いる西園寺派」という構図になっていきます。
イメージとしては「物騒な桂VS優しめ西園寺」といったところ。こうして桂太郎と西園寺公望が交互に首相を担当した時代のことを「桂」と西「園」寺で桂園時代といいます。
第一次桂太郎内閣、日比谷焼き討ち事件
1900から1905年までの長期政権(桂自身も首相就任期間は歴代2位)でした。ちなみに一位は安倍晋三首相。
この間、日露戦争が起こり、見事勝利します。しかし日露戦争で賠償金が取れなかったことが原因で起こった日比谷焼き討ち事件で退陣を迫られることになりました。
第二次桂太郎内閣、戊申詔書(ぼしんしょうしょ)を出す
戊申詔書とは日露戦争が終わり愛国心を持たなくなったり、「自分」という存在に煩悶するようになった国民の心を引き締める内容のことが書かれている書です。詔の字は天皇からの書であることを示すものです。
第二次桂太郎内閣、地方改良運動を実施
内務省を中心に市区町村の区画を一新することにより、国と市区町村との結びつきを強くしていきました。
第二次桂太郎内閣、大逆事件を機に社会主義を大弾圧
大逆事件とは天皇暗殺計画を企てた社会主義者が逮捕され、その中でも幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らが死刑となる事件です。
この事件を機に桂は社会主義者を大弾圧しました。
第二次桂太郎内閣、韓国併合を実行
韓国は日本の完全な植民地にすることに成功しました。詳しい内容はこちら。
第三次桂太郎内閣、第一次護憲運動により即時職
桂は大正天皇の内大臣兼侍従長になっており、その人物が首相となることは「宮中府中の別」を乱すということになり批判が殺到したんです。
このことから第一次護憲運動が行われることとなります。
- 犬養毅(いぬかいつよし、所属政党は立憲国民党)
- 尾崎行雄(立憲政友会)
といった政治家を中心に一般人まで多くの人が参加。この運動のスローガンは
- 閥族打破(ばつぞくだは。意味は藩閥政治やめろ)
- 憲政擁護(けんせいようご。意味は憲法まもれ)
の2つ。この時桂太郎も抵抗し、立憲同志会という政党を作るも民衆のデモが収まらず、第三次桂内閣はは2カ月も持たずに総辞職し、桂太郎自身もこの直後に亡くなってしまいました。
この一連の出来事(第一次護憲運動を含む)を大正政変といいます。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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