こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
それではどうぞ。
山県有朋とは
明治時代に政界で活躍した中の一人。
出身は長州で、同郷の伊藤博文とはライバル的存在です。そのため伊藤博文とセットで理解してしまうのがおススメ。
やったことをまとめ
- 徴兵制の施行
- 首相となり、増税の要求を行う
- 第二次内閣、選挙法の改正
- 第二次内閣、地租増徴
- 第二次内閣、文官任用令の改正
- 第二次内閣、治安警察法の制定
- 第二次内閣、軍部大臣現役武官制の制定
- 伊藤博文とのバトル:日露協商論VS日英同盟論
- 世代交代、桂園時代へ
といった形です。意外とやったこと多いですね。
徴兵制の施行
一般の人に軍隊の訓練を義務付ける制度のことを徴兵制といいます。日本ではもうないですが、今でもやっている国は意外とあります。韓国とかが有名でしょうか。
この制度は大村益次郎の建議に始まり、徴兵告諭に基づき山県有朋が施行していくこととなります。満20歳以上の男子は原則全員参加だったのですが、例外もあり、
- 戸主(父親)・その跡取り(長男):一家の跡取りがいなくなると困るから
- 270円を税で納めた者:お金持ちにはさすがにやらせません。ちなみに当時の270円は超高額。
などは徴兵されませんでした。この2つは特に試験に出やすいです。
例外はあるものの、基本的には参加する義務のある制度だったので反対が大きかったんです。徴兵制に反対する一揆のことを血税一揆といいます。
首相となり、増税の要求を行う
この内閣がやったことは予算案の作成です。当時の政府はまだ貧乏だったので予算作成は今より大イベントでした。
山県有朋は日本を「主権線」と称し、朝鮮を「利益線」と呼び、防衛のための海軍予算の要求の演説をしました。要は増税の要求です。
これに民党(自由党・立憲改進党)たちは反発します。理由としては彼らの支持者(税を払う人々)は増税してほしくないからでしょうね。民党は「民力休養(民の負担を軽くする)」、「政費節減」という2つの要素を政府に要求します。
予算案の可決については政府が自由党土佐派に取引を仕掛け、その結果予算案可決に成功します。そして予算案可決後に第一次山県内閣は解散します。
第二次内閣、選挙法の改正
- 直接国税を15円→10円にまで下げ
- 選挙体制を大選挙区制へ:立憲政友会などの巨大政党に不利
という改正をしました。大選挙区制ということで山県率いる政府にとって有利な制度となりました。というのも大選挙区制にすることで二大政党が当選しづらく、代わりに小政党が当選しやすくなることで巨大政党が生まれにくくなり、政府への反対が少なくなる。これが目的です。
第二次内閣、地租増徴
地租増徴:憲政党が協力しました。地租は2.5%(二分五厘)から3.3%へ上がります。
第二次内閣、文官任用令の改正
文官任用令改正ということで、官僚に試験を設け政党員を官僚にならせずらくしました。これは今も同じシステムですね。
当時としては「政党の人間が官僚になり、政府を政党の都合がよいように動かす」といった恐れをなくすために改正がされました。
第二次内閣、治安警察法の制定
治安警察法は思想弾圧のための法律です。
- 労働運動は禁止
- 女子の政治活動はいかなるものも禁止
といった今から見ればドン引きの内容。しかしこの考え方は1925年の治安維持法に引き継がれていきます。
そして1900年に結成された日本初の社会主義政党社会民主党はこの法律により、解散を命じられることとなりました。
第二次内閣、軍部大臣現役武官制の制定
軍部大臣現役武官制とは「軍の大臣(陸軍、海軍)は現役の軍人でなければならない」といった内容です。ちなみに現行と逆です(現行は軍人はダメ=シビリアン:コントロール)。
このような超然内閣化政策を受けて、山県内閣は立憲政友会をはじめとして反対が大きくなり、解散しました。
伊藤博文とのバトル:日露協商論VS日英同盟論
山県は伊藤博文と争っていましたが最大級の争いはこれです。
「日清戦争後にロシアとどう接していくか」という議題だったんですが、そこで出たのがこの2つの論。
この2派に分かれました。見ての通り山県と伊藤は別意見ですね。
結果としては日英同盟論が採択され、日本はイギリスと日英同盟を結びます(1902年)。
世代交代、桂園時代へ
山県と伊藤はお互い長州出身でお互いをライバル視しておりバチバチにやりあっていたのですが、お互いに高齢になっていました。そこで代理を立ててさらに争うことにしました。それが桂園時代の彼ら。
という感じで代理を立てていました。この後、山県と伊藤は元老という立場となります。
最終的な構図としては「貴族院、軍部、官僚率いる桂派vs政党政治で民衆を率いる西園寺派」という構図になっていきます。
イメージとしては「物騒な桂VS優しめ西園寺」といったところです。
桂園時代の詳しいことについてはこちら。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
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