こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
黒田清隆とは
主に明治時代に政界で活躍した人物の一人です。
出身は薩摩藩で、酒好きで知られていたのですが、酔っぱらうととんでもないことをしてしまうといった一面もあります。
それでは彼のやったことを見ていきましょう。
やったことまとめ
- 屯田兵(とんでんへい)制度の提案
- 大日本帝国憲法制定(1889)
- 「超然内閣」発言をする
- 開拓使官有物払い下げ事件・明治14年の政変
といった形です。それぞれ見ていきましょう。
屯田兵(とんでんへい)制度の提案
当時は政府の武士(士族)への扱いが悪くなり、このままだと多くの武士たちが見捨てられる運命でした。
しかし黒田は当時未開拓であった北海道に目を付け、そこに武士を派遣することにより武士の生活を守るとともに北海道の開拓にも成功しました。
北海道に派遣され、開拓していく屯田兵ですが、これは黒田の提案により作られました。
大日本帝国憲法制定
憲法を作ったのは主に伊藤博文なんですが、憲法の発布は黒田清隆が首相の際に行われます。
「超然内閣」発言
これが大きな問題となります。「超然内閣」の意味としては政党(民権派)の発言は気にせず政治を行う内閣ということになります。
当時は(今も憲法上は)選挙で選ばれていない人間でも要職につけたという背景があり、それが藩閥政治を加速させるのではないかと物議をかもしました。
また当時は自由民権運動も盛んにおこなわれており、そういった運動に参加している人たちの意見を一切聞かないという趣旨の発言をしてしまったことで自由民権運動に参加している人たちからも批判を浴びることになってしまいました。
開拓使官有物払い下げ事件・明治14年の政変
これは俗にいう贈収賄事件です。
関西貿易社の五代友厚が国の黒田清隆から不正な値段で官有物を譲り受けた事件が起こってしまいます。
この事件を(開拓使)官有物払い下げ事件といいます。
この事件により、民権運動が盛り上がってしまい、政府は当時の民権派のリーダーである大隈重信を政界から追放してしまいます。そしてこの事件を明治14年の政変といいます。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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