こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
現在でもいろんな汚職事件で政治家や社長が謝罪しているのをよく見ますよね。でもそういう人に限って仕事では有能だったりするんですよね。今回はそんなお話です。
誰がやった?
田沼意次(おきつぐ)です。
将軍でいうと10代将軍徳川家治(いえはる)。この将軍は覚える必要はありません。
株仲間奨励
田沼といえばこれ。
商業集団である株仲間の結成を奨励し、商売の活性化を試みました。
そしてただ活性化させるだけではなく運上金や冥加金といった税を徴収し、幕府の財政を潤していきます。
南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)
それまでは
- 秤量貨幣(しょうりょう):重さで価値を計る。「金~グラムの小判は銀~グラム分」みたいな感じ。貨幣そのものに価値があります。
という性質の貨幣が流通していたんですが、デメリットが多かったんです。まず重くて携帯性が悪い。あと欠けたり錆びたりしたらその分だけ価値が下がっちゃうんですよね。
というわけで田沼は
- 計量貨幣:現在の貨幣システム。書いてある額面で取引を行う。例えば今の1万円札って多分原価200円もしないと思うんですが、それを1万円分の価値のものとして扱えるようにするということです。
の導入に注力します。
そして作られたのが 南鐐二朱銀 。今の場合は紙切れですが当時はミニサイズの銀を使っていました。
俵物(たわらもの)
海産物です。蝦夷でよく取れた
- いりこ
- あわび
- ふかのひれ=フカヒレ
を積極的に交易していきました。確かにどれも高級品ですよね。
干拓(かんたく)
田畑を広げる計画も行います。具体的には
- 印旛沼
- 手賀沼
の干拓。沼を干からびさせて土地にしていこうとしました。
北方進出
きっかけは工藤平助の赤蝦夷風説考という本。
これの影響もあってか田沼は最上徳内を派遣し、北方を探検させました。
天明の飢饉
ここまでは結構順調だったんですが、悲劇が起こります。
浅間山の噴火による火山灰の噴出が原因で冷害が各地で発生し、作物が育たなくなりました。江戸時代最悪の飢饉は間違いなくこの飢饉でしょう。
結果
なんとも評価しづらいのが田沼政治。
よかった点は
- 経済の成長
なのですが同時に
- 賄賂が活発になった
という側面もあります。
天明の飢饉の後も田沼の身内に悲劇がおこったり10代将軍が亡くなったこともあり、田沼は自ら退陣していきます。
最後に
次に行われたのが寛政の改革です。詳しくはこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (3件)
[…] 株仲間を奨励します。株仲間というと田沼意次を連想する方も多いと思いますが、吉宗もやってます。 […]
[…] 田沼政治が10代だったので寛政の改革は田沼政治のすぐ直後だったことが分かります。将軍を覚えておくと順番に迷ったときにちょっと便利かもです。 […]
[…] 徳川吉宗や田沼意次が支援してきた株仲間(商業者の団体)を解散します。 […]