こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
現在、日本には体系的な教育システムがあるわけですが、これほどしっかりとした制度が最初から作られるはずもなく、紆余曲折があって作られたものでした。今回の記事はそんな内容です。
それではどうぞ。
その1:学制
フランスの教育制度をまねて作られました。
しかし結果は失敗に終わります。日本とフランスって全然違うし。でも当時の日本はフランスを丸パクリでその結果日本の実情に合っていないものができてしまったんです。
例えば学区制ですね。そしてこの学制が不評だったので作ったのが
その2:教育令
これです。
今度はアメリカの教育制度を参考にしたもので学制よりかは日本の実情に合った政策を行いました。
そのせいもあってか結果は成功。この辺りから義務教育の進学率も上がっていきました。
その3:学校令
森有礼(もり ありのり)が出しました。
学校令というものが出されたわけではなく「小学校令」「大学令」のようなものが出され、それを総称して学校令といいました。
内容としてもあくまで構造的なものであり教育令ほどの影響力はないです。
その4:教育勅語
大日本帝国憲法と同時期に作られました。
内容としては愛国心や道徳を吹き込むというものでこれも内容に関しては重要ではないです。
その4:太平洋戦争後の教育改革
戦後の教育としてはGHQによって即刻で改革がなされていきました。
ひとつづつ見ていきます。
教育勅語廃止・教職追放
「天皇万歳」的な内容が書いてあった教育勅語は廃止。
「天皇万歳」的な教育を行った教師を教育界から追放しました。
停止となった科目
- 歴史:理由は「天皇万歳」的な内容があったから
- 地理:今まで持っていた領土(満州や台湾)が日本のものでなくなってしまうから
- 修身(今でいう道徳):理由は「天皇万歳」的な内容があったから
の3つが停止となりました。
とはいえ教科書は急には作れないのでしばらくは今までの教科書を使い、不適切な部分に墨を塗る「墨塗り教科書」を全国の学校で行っていきました。
学校教育法・教育基本法
学校教育法では小学・中学・高校・大学の年数を全国的に統一した「6・3・3・4制」を規定しました。逆に言えばそれまでは中学や高校の年数が場所によって変わっていたんです。
教育基本法では教育全般に関することが規定されています。今でも公立の先生は教育基本法の試験を受けないと先生になることができません。
最後に
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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