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【終わりの始まり】北条貞時とは。やったことをまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

何事も、自分の思い通りになるように周りを無理やり動かしていくと、後で必ずそのことによるひずみが生じます。

孔子もそんなことを言っていたような気がします。今回はそんなお話です。

それでは本題に入ります。

目次

北条貞時(ほうじょう さだとき)ってどんな人?

鎌倉幕府の執権(将軍の補佐役)の9代目です。

補佐役といっても実際はこの人が政治を運営していくことになります。

それでは彼のやったことを見ていきましょう。

得宗専制政治の開始

得宗(とくそう)が一番偉く、その人が独裁的な政治運営を行っていくという政治体系をこう言います。

得宗というのはもともと三代執権義時の称号だったんですけど、

貞時以来は執権全体に使われていきます。

この得宗の補佐をするのが御内人という役職であり、

その中で最も権力を持つものが内管領(うちかんれい)となりました。

そして起こったのが霜月騒動です。

霜月騒動(しもつき そうどう)

安達泰盛(あだち やすもり)という人が内管領の平頼綱(たいらの よりつな)と戦って敗北します。

そしてそのあと平頼綱も北条貞時によって殺されるという事件です。

内管領という職がいかに強大であったかを示すような事件となっています。

永仁の徳政令の発布

徳政令(とくせい れい)とは特定の人の借金をなかったことにするという法令です(永仁は当時の元号)。

幕府はこれを使い、御家人の困窮を救おうとしましたがこのことが裏目に出ます。

実はこの令、お金を貸した側からすれば、借金としてもらえるはずだったお金が入ってこないということになります。

そうするとお金を貸していた人々がお金を貸さなくなり、

その結果として必要なお金も借りることができなくなりました。

そして、御家人はますますお金に困っていくことになります。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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