こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
何事も成長途上の過渡期が一番楽しいですよね。幕府の運営もそうだったんじゃないかな?と感じさせるのがこの人ですね。
目次
北条時頼ってこんな人
鎌倉幕府の執権(将軍の補佐役)の5代目です。補佐役といっても実際はこの人が政治を運営していくことになります。それでは彼のやったことを見ていきましょう。
やったことまとめ
- 宝治合戦
- 引付の設置
- 皇族将軍の設置
- 建長寺建立
です。詳しく見ていきます。
その1: 宝治合戦
三浦泰村一族を北条氏が滅ぼします。
当時から幕府の権力は大きかったのは事実ですが、後々を考えればこの事件が幕府崩壊につながったとみることもできます。
その2:引付の設置
評定衆の補佐という目的で作られるようになりました。当時は裁判が幕府の大きな負担となっていたため、そこを補助するといった感じです。
その3:皇族将軍の設置
これまでは摂家将軍(摂関家)だったんですがここからは皇族将軍(皇族)となります。目的は幕府と皇族との連携強化です。
その4:建長寺建立
建長寺はとてもすごいお寺です。どれくらいすごい寺かというと、室町時代には鎌倉で一番偉い寺だとされたくらいです。
この寺を作ろうと時頼に提案したのが蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)という人です。
最後に
次は8代執権の北条時宗。詳しくはこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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