こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
明治時代の文化においては基本的に欧州の文化を日本に持ってくることがベースとなっています。まだ独り立ちしていない赤ちゃんのようなものですね。
それではどうぞ。
思想
明治時代は海外との接触が多く、刺激を受ける人々も多かったんです。大きく分けると明治初期と後期で分けることが出来ます。
明治初期は「天賦人権論(人類はみな平等)」がベースとなります。試験に出てくるところでいうと
- 人権新説:社会進化論(社会は勝手に良くなっていく)を支持していた加藤弘之(初代東京大学総長)の代表作
- 民約訳解:中江兆民がルソーの社会契約論を漢訳したもの。
- 西国立志編(スマイルズの著書がモチーフ)や自由の理(ミルの自助論がモチーフ):中村正直(まさなお)が作った
といった感じです。
明治後期は明治初期より具体的になっていきます
平民的欧化主義(華族だけでなく平民も欧風に!)の徳富蘇峰が陸羯南派と論争を繰り広げる。また、ナショナリズムの下に対外硬派が成立、彼らは国際協調を否定していきます。要は鎖国。
教科書を開くともっといっぱいの情報が載っているとは思いますが、まずはここから覚えていきましょう。
出版社と雑誌
これも明治初期と後期に分けていきます
初期に出たのは
- 横浜毎日新聞:日本初の日刊紙。だから「毎日」なんですね。
- 日新真事誌:お雇い外国人のブラックが創刊。民撰議院設立の建白書を紹介
などが有名です。
後期には
万朝報ではもともと幸徳秋水や内村鑑三など左派の人物が多く記事を作っており、日露戦争開戦時は非戦派をとっていましたが、開戦派に変更してしまうんです。おそらく何らかの圧力がありますよね。この時、孝徳、内村らは万朝報を抜けることにしました。
内村鑑三はのちに不敬事件を起こしています。内容としては当時第一高等学校の教員であった内村鑑三が教育勅語の奉読中最敬礼をしていなかった事件です。
社会主義の台頭
思想自体はもっと前から存在していましたがソ連(ロシアの革命後の名前)の建国を機に活発になっていきます。当時は日本も含め、世界的に社会主義に対して疑いの目を持っていました。
そんな中、日本でも社会主義政党が作られましたが作られたのは主に2つです。
- 社会民主党(1900):日本初の社会主義政党。代表人物は安部磯雄・片山潜・幸徳秋水➡治安警察法により1日で解散
- 日本社会党(1907):作られた当初は容認されていた➡片山潜(穏健派)と幸徳秋水(過激派)が対立、過激派が主流になると、解散させられる。
どちらもしばらくすると解散させられており、社会主義に対する風当たりは強いものであったことがうかがえます。
そんな中起こった、社会主義関連での大事件が大逆事件です。内容:1910年、幸徳秋水や菅野スガらは天皇暗殺を試み、爆弾を所持➡警察に見つかり逮捕➡二人は大逆罪にかけられ、死刑に。
この後社会主義者は強い弾圧を受け、活動は低下。「冬の時代」へ突入していくこととなります。
文学
正直言って明治文学はやりだすとキリがありません。ここでは代表的なものだけ紹介しておきます
- 坪内逍遥(つぼうちしょうよう):「小説神髄」
- 与謝野晶子:「君死に給うことなかれ」
- 石川啄木(たくぼく):「一握の砂」「時代閉塞の現状」
- 樋口一葉:「たけくらべ」
- 森鴎外:「舞姫」
- 夏目漱石:「坊ちゃん」
- 正岡子規
ここにあるものは最低限覚えてもらってあとは余裕が出来たらという感じでしょうか。
少数派による運動
足尾銅山鉱毒事件はよく出てきますね。栃木県の渡良瀬川流域にある谷中村が足尾銅山から流れ出た廃棄物により被害を受けた事件。田中正造を中心に抗議が活発化するも、事態は改善せず、谷中村は廃村しました。
沖縄県での民権活動でいうと謝花昇(じゃはなのぼる)を中心に、選挙権などを本土の人間と同じ基準にすることを目指しました。沖縄県は1912年にやっと選挙権(本土は1889)を得ます。
また、明治に入ると、国は神道を奨励し(神仏分離令)、神仏習合で一緒になっていた仏教は弾圧を受けたんです(廃仏毀釈)。この流れに反対した島地黙雷(しまちもくらい)の努力で仏教は復活。
最後に
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
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