こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
実は日本は昭和初期までほとんど繊維工業のみで成り立っていたような繊維大国であったわけなんですが、その裏には過酷な労働環境がありました。
それではどうぞ。
工業全般
イギリスの産業革命の技術が日本に本格的に取り入れられるようになり、日本の工業は大幅に発達していったんです。当時の日本は西欧からの技術提供にかなり頼っていました。
貿易
政府は造船奨励法・航海奨励法を出し、貿易業を支援します。当時は貿易の際の為替の不安定さを解消するために横浜正金銀行が出来ました。
三菱汽船と共同運輸が合併してできた貿易会社である日本郵船も貿易で活躍していきます。日本郵船は今でも存在する企業です。
紡績
綿から糸を作ります。
日本は太平洋戦争まで、糸で産業全体を引っ張っていったんです。繊維業は当時の日本にとって欠かせない産業でした。
渋沢栄一が大阪紡績会社を設立し、当時としては前代未聞であった10000錘を達成します。当時の普通の工場は2000錘ぐらいでした。
そのほかにもたくさんの工場が建てられていきました。
技術としては
などが開発されていきます。
製糸
蚕から生糸を作る産業です。
座繰製糸(手作業)から器械製糸(自動化)になり、効率化を達成しました。そして世界一の製糸国になっていきます。
富岡製糸場はフランスの技術提供を受け、ブリューナというお雇い外国人の力を借り、成長していきました。
労働組合の結成
糸を作ることで日本は発展していったが、その裏には過酷な労働環境がありました。
工場で働いていたのは士族の娘が多かったが、亡くなってしまう人も少なくなかったんです。当時の過酷を書いた文章には
など。
その結果、ストライキも起こり始め、片山潜・高野房太郎を中心に労働者の権利を守るという目的で1897年労働組合期成会が設立されました。
こうした状況を受け、第二次桂内閣は工場法を制定するも資本家からの反対にあい、極めて不十分な内容なまま制定されました。
重工業
大正期に入るまでは日本の工業は貧弱でした。逆に大正時代に入ってからは順調です。
重工業をするためにはとにかく初期費用が掛かるのでお金持ちな政商が活躍していき、これが財閥へなっていきます。三菱・三井・住友・安田などですね。
有名な工場だと
などがあります。
池貝鉄工所は正確な工作機械(機械を作る機械)の作成に成功します。
八幡製鉄所は漢冶萍公司(かんやひょうこんす)という中国の会社から大冶(だいや)鉄山の鉄鉱石を安価に得ました。公司(こんす)は中国語で会社という意味です。
しかし結局、明治時代の重工業は貧弱で輸入に頼っていたというのが現状でした。
最後に
明治時代の文化はこちら。
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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