こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
日本は国全体で考えるとなかなか運のよい国であるということができるかと思いますが、日露戦争でのエピソードもそのことを裏付けていますよね。
それではどうぞ。
反戦派&推進派
大国ロシアと戦争を始めるわけなので「やっちゃえ」という人もいれば「ちょっと待てよ」となる人もいるわけです。
反戦派としては
の3人です。
推進派は
- 東大七博士の意見書(非現実的):代表的な教授は戸水寛人(とみずひろんど)
- 対露同志会:会長は近衛篤麿(子は近衛文麿)。
です。普通に考えて大国ロシアと日本が戦って日本が勝つなんて考えられません。
しかし結果としては万朝報(よろずちょうほう)が推進派に転じたこともあり、国民の世論は開戦寄りに。万朝報は当時日本で一番読まれていた新聞でした。マスコミの影響というのは今も昔も強いものがあります。
戦争勃発
1904年に日露戦争勃発、日本はアメリカやイギリスから借金し、戦いに挑みます。わざわざ借金してまで戦争をしたということもあり日本には長期戦をする余裕がありませんでした。
戦況としては
- 奉天会戦:陸の戦い。多数の犠牲を出すも勝利
- 日本海海戦:無敗のバルチック艦隊を日本の海軍が全滅させる。
という感じで下馬評を覆し日本が優勢になっていきます。
結果として日本は優勢だったんですが…日本には長期戦をする余裕がありませんでした。一方のロシアも国内で革命がはじまり戦争が続行不可能になり、お互いジリ貧になっていきます。
そこで日本とロシアはアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に仲介を頼み、日露間で条約を結ぶことにします。アメリカのポーツマスで結ばれた条約でポーツマス条約と呼ばれます。
ポーツマス条約の内容
で条約を進めていきます。
日本が有利のまま終戦したので、日本に有利な内容となっています。
- ロシアは韓国の支配権を日本に認める
- 日本は旅順・大連の租借権を得る
- 日本は北緯50度以南の樺太の領土を得る
- 日本はカムチャッカ海での漁業権を得る
などで日本は実質的な勝利となりました。
日比谷焼き討ち事件
しかし、肝心の賠償金が取れなかったんです。国民はアメリカやイギリスから借りた日本の借金返済のため、増税を強いられていました。
そこで人々が暴動を起こすのが日比谷焼き討ち事件です。内容としては条約反対派が日比谷にある交番に火をつけた事件です。
これにより、第一次桂内閣も総辞職するような事件になっていきます。
最後に この後の流れ
日露戦争の後の対外関係も殺伐としています。
国内の政治では桂園時代です。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (7件)
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[…] 大正時代といっても名前を作るきっかけになった出来事は明治時代の日露戦争です。 […]
[…] この人がついに関税自主権の回復に成功しました。日露戦争に勝ったことも要因としては大きいでしょう。 […]
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