こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
「法律や国家のない国とは話をしない」欧米にこう言われた日本ですが、憲法の制定によってようやくその屈辱を晴らすことができるようになったということができます。
それではどうぞ。
きっかけ:やったのは伊藤博文
1875年、「大阪会議」で今までの左院(立法府:今の国会)が元老院と名前が変わり、そこで日本国憲按と呼ばれる憲法のルーツのようなものを提出しますが岩倉具視を中心に中央政府に反対されました。
1880年、国会開設の勅諭(10年以内に憲法と国会を作るという内容)が出された後に憲法を作る運動は活性化していきます。それと同時に多くの憲法私案が出されました。
そこで伊藤博文が憲法を学びにヨーロッパへ行くことにしました。憲法を作ったのは主に伊藤博文です。日本が目指した憲法はプロイセン(今のドイツ)流でした。
関わった外国人の名前
作ったのは伊藤ですが、その時に外国人たちの助けを借ります。
伊藤がヨーロッパ留学中には
プロイセン(ドイツ)流の憲法が作りたかったので当然ドイツの法学教授から憲法を学ぶことになります。
そして伊藤が日本に帰国後は
の手を借ります。この2人はいわゆるお雇い外国人です。
1888年、枢密院設置
枢密院はもともとは憲法を作る目的で作られた機関で天皇の諮問機関(相談を受ける機関、読み方はしもん)だったんです。つまり天皇の息がかかる組織ということで後には発言力が強くなる機関でもあります。平安時代でいう蔵人所みたいな感じ。
初代議長は伊藤博文です。
1889年、大日本帝国憲法発布
大日本帝国憲法は「欽定憲法(天皇が定めた憲法)」で天皇主権でした。さらには国民を「臣民」と称しました。ここら辺は民定憲法・国民主権の日本国憲法とは異なる点です。
起草者は伊藤博文のほかに
がいます。
重要な条文
1,3,4条:天皇は国のトップであり、統治権を行使する
8条:緊急勅令を発することが可能になった。緊急勅令とは天皇が法律を無視し発令できる勅令で、国会の審議も即座に必要ではない。➡天皇は立法権も持つことに
11、12条:軍の統制➡天皇は軍も動かす権利を持つ。ただし、12条の内容は内閣から助言を受ける
29条:権利は法律の範囲内で保障される=法律で規制可能。ここは試験でめっちゃ出てきます。
55条:内閣は天皇の輔弼(ほひつ)機関:助けること
信教の自由
そして、大日本帝国憲法ができて初めて29条の信教の自由により、キリスト教が公認されることとなりました。じつは明治初期の五榜の掲示の時点では禁止されていたんですが、欧米列強の批判により「キリスト教禁止」の部分が削除となりました。
浦上信徒弾圧事件
信教の自由がらみでの事件がこれ。
実は五榜の掲示が発表される前にはキリスト教は認められていたんですが、五榜の掲示で禁止したという背景がありました。
そこで五榜の掲示が発表される前の時点で「実はキリスト教徒でした」とカミングアウトする人たちが現れてきました。いわゆる隠れキリシタンです。
しかし、そのあと五榜の掲示が発表され、再びキリスト教は禁止、隠れキリシタンたちは日本各地に移動させられ離れ離れになってしまいました。この事件を「浦上信徒弾圧事件」といいます。
ちなみに浦上というのは九州の都市で島原とか天草とかに近い。ここら辺はもともとキリシタンが多かったのかもしれませんね。今ではきれいな大聖堂があるんだそうです。
(ほぼ)同時にできたもの2つ
憲法の発布に伴い、様々な法整備が進んでいきました。
この二つのものがほぼ同時に作られていきました。それぞれを見ていきましょう。
皇室典範
憲法発布と同時に皇室典範を発布します。内容としては天皇の決め方などが載っており、天皇主権に対応するルールが定められています。
皇室についてのことですが一般市民には非公表でした。
衆議院議員選挙法
また、衆議院議員選挙法も同時に公布されます。これは1890年の総選挙に向けたものです。
内容としては日本の選挙制度についてです。小選挙区制を採用することが規定されています。
また選挙権には制限がありました。選挙権については25歳以上の男子でかつ国税15円以上を払っているもの(全人口の1.1%)のみが持ち、被選挙権は30歳以上の男子で、国税15円を払っているものと規定しました。
さらに「公開投票(誰に投票したか警察に言わなければならない)」だったんです。もちろん今の選挙ではそんなことなく「秘密選挙」でやってます。
※沖縄県、北海道での選挙はさらに時間がかかり、沖縄県は1912年にようやく選挙権が認められることになりました。
教育勅語
1890年に山県内閣から教育勅語が出されます。内容としては愛国心を吹き込むような内容です。
起草者は
の2人です。井上毅はさっきも出てきましたね。
最後に その他の法律は?・・・
民法・刑法・商法は全く違う作られ方をします。
個人的に勝手に作った憲法(私議憲法)もあります。
みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら。
そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (9件)
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[…] 憲法作成の詳しいまとめはこちら。 […]
[…] そこで若槻は台湾に対し、緊急勅令による経済の復興を考えたんですが、枢密院の妨害により復興がかなわずそのまま総辞職します。実は若槻及び幣原による協調外交は枢密院によく思われていなかったという背景があります。 […]
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