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【グローバル】明治時代初期の対外関係をまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

欧米との交渉が通用しないことに気が付いた日本はアジアの中での地位を高めようとしていきました。

それではどうぞ。

目次

対清(中国)

1871年に日清修好条規(平等条約)を締結します。

の2人が交渉しあいます。明治時代の中国との交渉事はすべて李鴻章が担当することになります。「交渉といえば李鴻章」と覚えてください。

実は清という大国と日本が平等条約を結ぶこと自体前代未聞だったんです。ただし、当時の清はアヘン戦争に負けたばかりで、力は弱くなっていたので可能でした。

対琉球

1872年に日本は琉球王国に琉球藩を設置し、この事件で、琉球王国消滅することとなりました。琉球王国最後の王は尚泰(しょう たい)です。

しかし当時の琉球は清と日本の二股状態であったので、清は日本が琉球を獲得することに抗議します。

しかしイギリス人のグラントが日本に有利なように調停をしたおかげもあって1879年に日本は琉球処分を実施してその結果、琉球藩は沖縄県になり完全に日本のものになりました。

対台湾

1873年に岩倉使節団は征韓論を却下したんですが、1874年に台湾出兵を行います。

口実は琉球漂流民殺害事件。内容としては琉球からきた漂流民が台湾にたどり着いたところ、台湾人が漂流民を殺害してしまったという事件です。

当時台湾は清の属国であったんですが清が事件の責任を取らなかったため、台湾を日本が占領することになりました。その後イギリス人の調停があり正式に日本のものになりました。

これにより日中関係は悪化していきます。

ちなみにこの時木戸孝允は政府のやり方に納得がいかず下野(政界から抜ける)します。

対ロシア

千島・樺太交換条約をかわします。日本側の全権は榎本武揚(旧幕府軍)。

内容としては文字通り千島列島と樺太を交換するという内容です。これにより日本は樺太を失った代わりに千島列島をすべて得ることになりました。千島列島は今でいう北方領土を含んだ列島です。

対朝鮮

江戸時代まで、朝鮮は中国と朝貢関係にありました。つまり中国の手下だったという事です。

1875年の江華島事件で日本は朝鮮にいちゃもんをつけます。追い込まれた朝鮮は日朝修好条規(不平等)を結んでしまい、その結果朝鮮は開国することとなります。

宗主国(親分)である中国はこの条約を認めなかったんですが、以後日本は朝鮮を侵略するようになります。

朝鮮に関してはこの後国内で大乱があり、国全体が揺らいでいくことになります。




最後に この後の対外関係

日清戦争後に大きく変わります。

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今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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