こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
敵からの襲来があったときに皆さんはきちんと戦うことができる自信がありますか。僕はありません。
元寇とは?
元(中国)が侵略が目的で日本に攻めてきたという鎌倉時代の出来事です。 執権でいうと8代執権北条時宗のころ。 ちなみに「寇」 という字は海賊というような意味があります。
合計で2回攻めてくることになるのですが、初回を文永の役2回目を弘安の役といいます。
元の野望
それまでは宋だった中国がチンギスハンを主体とするモンゴル帝国の侵略に遭い、滅びてしまいます。代わりに中国を支配したのがモンゴル帝国。彼らは国名を元と改めます。
もともと侵略で作った国なこともあり、元は新たな侵略先を探すことにし、そこで白羽の矢が立ったのが日本。チンギスハンの孫であるフビライハンは日本に「元の属国にならないか?」という文章を送りますがこれを8代執権北条時宗が却下。
これを機にモンゴルは日本に武力を用いて攻めてくるようになります。
文永の役
とにかく元は強かった。具体的には
- 集団戦法(日本は一騎打ちが主流)
- てつはうという飛び道具を使ってくる(日本は刀)。投げると爆発するもので、日本軍は馬に乗っていたのでその馬を驚かすことが出来た。
といった感じです。1名VS数名だったら数名の方が確実に有利ですし、いくら刀が強くても遠くから武器が飛んで来たらひとたまりもありません。
元軍側の人数が少なかったこともあり、この戦いでは元軍はすぐに撤退しますが、日本としてはこのまま2回目が来たら確実に負けてしまう。というわけでここから対策を練っていきます。
文永の役後の元対策
対策として設置したのが
- 石塁:沿岸に石の壁を作る
- 異国警固番役:海上を常に警備する
です。元軍は船で来るので石塁があると上陸が難しくなります。また、警備を常につけることで有事に備えました。
そして来るべき(?)2回目がやってきます。
弘安の役
2回目がやってきました。今回の攻めは本格的です。元の兵士に加え、近隣諸国から集めてきた兵士も参加し、とんでもない軍勢で日本に攻めてくることとなります。
結果としては日本が防衛に成功します。やはり石塁の効果が大きかった。そしてちょうどこのタイミングで台風が来たんです。台風が来ると海が荒れるからますます上陸しにくくなり、沈没してしまう船も現れました。そんなこんなで日本は防衛に成功。この一戦が大きかったのかその後元は日本に軍を送ってこなくなり、元はまもなく滅亡します。
弘安の役後の日本
事実として、弘安の役後に日本に侵略はありませんでしたが、この当時は「三回目」が来てもおかしくない状態でした。そこで鎮西探題を設置し、西国周辺を監視することになるんです。
最後に
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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